2017年6月26日月曜日

般若心経

仏説・摩訶般若波羅蜜多心経
仏の説く深淵なる知恵の教え

観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
全てを見通す菩薩が深淵なる知恵について洞察を深めた結果、我々が真実だと感じている全てが真実のままでは有り得ないと悟り、全ての思い通りにならない物事や苦しみから解き放たれた。

舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。
舎利子よ、聞いて、まず理解しなさい。今見えている真実に見えるものは全て形を変えるために真実とは言えず、形を変えるが故に全てがその時々で真実とも言え、真実は常にその姿を変え、姿を変えるが故に真実には見えないが全てが真実であると。

受・想・行・識・亦復如是。
五蘊に含まれる肉体、感覚、想像、意識ですらその法則からは逃れられない。

舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
舎利子よ。つまりこの世の全てが一定の形を保てず、生きているとも滅しているとも言えず、綺麗であったことも汚かったこともなく、増えることも減ることもない。

是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。
そういった意味で全てが一定の容(かたち)を保つことができず、真実であることはなく、肉体や感覚、想像や意識も、目で見ていることも耳で聞くことも、鼻で嗅ぐ匂いも意識ですらも一定では有り得ず、音や香り、味も触感も一定では有り得ない。

無眼界、乃至、無意識界。
感触で得られる感覚も、それらを心で感じ取れたと思えることも一定では有り得ない。

無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智、亦無得。
悟りを得られないということも、悟りを得られないという状況が尽きることも、老いることや死ぬことも一定ではなく、そして老いや死が無くなることもない。苦しみや迷い、迷いを無くすことも迷いを断ち切れたと思うことすら一定ではない。一定ではないから、それらを完全に知ることも、得ることもできない。

以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。
完全に知ることはできないという真実が故に、悟りを開こうとする者は、この「完全に知ることができないという」真実である深淵なる知恵によって全ての憂いから解放され、解放されるが故に恐怖から免れ、過去や未来を想像して苦しむことがなくなり、本当の意味で心の静寂に至ることができる。

三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
過去・現在・未来にまたがって存在する我々は、この深淵なる知恵によってこの上なき悟りを得られるのである。

故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
故に知るが良い。上記した深淵なる知恵は神の言葉であり、全てを明らかにする言葉であり、これ以上ない言葉であり、他に値するもののない言葉であり、この言葉が故に全ての思い通りにならないと思える物事から解放されることが可能であり、偽りのない真実であると。これらを真実としたうえで、深淵なる知恵についてこう説こう。

 即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経。
この知恵を知ることはそれほど難しくないかもしれない。この真実はいつもそこにあるのだから。だから、この知恵を知り、感じることができたなら、その状態ですら一定では有り得ないのだから、その知恵を得たままの状態であり続けなさい。この世のあらゆる事象から離れたそちら側にいる状態であり続け、いつもその状態であり続けられるよう努めなさい。そして、それがこちら側にあるこの世への最高のささげものになるのです。これこそが知恵の言葉であることを知りなさい。

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