過去に経験したことなどについては、ネタになるものが多いのでゆくゆく書いていこうと思うのですが、どんな人間なのかについてざっくりと書いていこうと思います。それと、ネタとしてまとめた内容はリンクにしていこうと思います(ただし面白いネタにならないものについては永久に封印しますw)。
<学歴・職歴合わせた経歴>
・日本の大学を普通に卒業(ラグビー部所属)【在学中に行ったバイト】
- 英語塾でなんでも屋
- 企画系とか言う意味不明のバイト
- 家庭教師(首切られる)
- 某有名揚げ鶏屋にて調理(店長と喧嘩して1か月で退職)
- タコ部屋制度を持つ土方屋
- 短期の警備(ゴルフ場とか)
- 輸入家具屋でなんでも屋
・大学卒業後ある車会社の塗装工として1年弱働き、お金を貯める
・貯めたお金でアメリカの大学付属英会話学校で1年弱過ごす
- 優秀な先生達のおかげで英語が上達
・TOEFLで600点取ったことで、大学院に行けるとそそのかされ、MBA取得を志す
・最終TOEFL653点(CBT180点)でMBAプログラム開始・・・と思ったらPrerequisitesが必要と言われる
・1セメスターかけてPrerequisites受講
- Accounting 家の近くの別の大学で受講、徹底した予習復習でA取得。本格的に勉強に目覚める
- Micro Economics 397.5/400点満点でA取得
- Marketing Aは絶続的と教授に言われたもののA取得
- Statistics 400点/400点満点でA取得
- Finance A取得後、面白かったので頼み込んでFinance専攻Senior向けのFinance Ⅱも勢い余って受講、A取得
・MBAプログラム開始
- 週末を除く平日の平均睡眠時間2時間だったため、細かな内容はあまり覚えていない
- GA(Graduate Assistantship)制度で週10時間、時給20ドルで働く
- GAで担当の教授が教えていたマネージメントゲームのオペレータをする
- ゲームのオペレーションで生徒が提出してきたフロッピーディスクがウィルス感染しており、ディスプレイで花火が上がる経験をし↓
- "Format c:"という恐怖のコマンドで一からPCを組みなおす羽目になる
- GAでオペレータをしていたゲームの授業を受けることになり、受講していた生徒と担当教授に授業で使うゲームではあってはならない一社独占体制の恐怖を経験させることに
- 寮付属の食堂で地下2Fから地上1Fに20kgの牛乳を運ぶバイトを週10時間、時給確か6ドルでも働く
- 食堂でのバイトの働きぶりが認められ、Supervisorとして声掛けもあったが・・・↓
- バイトは最終的にGPAが3.2を大幅に超えていたこともあり、GAで週20時間働けるように・・・
- GPAが3.5を超えてると返済不要の奨学金がもらえるということで、銀行系奨学金800ドル/年をもらえることに
- 今の仕事から考えると皮肉だが、Information technology系の授業2つのみB、残り全てをA取得でプログラム終了
・アメリカで就職しようとするも、日本を超える超氷河期のため断念、帰国
・就職に役に立つということで、TOEIC受験。さらっと参考書を読んで受験した結果915点でこんなものかと以降受けるのを止める。
・日本でも就職氷河期だったため、某超有名ブラック企業に営業として入社
- 地区で受注がない日は深夜0時を超えても帰してもらえず、ただひたすら電話をかけ続けるはめに
- 営業訪問が嫌い(受注できないとひたすら絞られるため)だったため、営業に出た人に無理目なアポイントを振って受注してもらうことを繰り返し、2回程地区一位を奪取
- 売り方がやくざすぎたため、犯罪に手を染める前に「一身上の都合により」退職
・地元のデータセンターに営業として入社
- ちょっと守秘義務があるので言えないシステムを、ある業種では日本で初めて導入
- パッケージ製品を売ってから作りだすという中小企業の意味不明さを体験
- さらに仕様定義や他社との調整部門を持たないという中小企業の意味不明さも経験、プログラマに口頭で仕様を伝え、他社とのデータ送受信定義などを調整させられる
- さらに保守部門がないという中小企業の意味不明さもここで体験、販売先でのトラブルを24時間体制で一人で窓口対応させられるはめに
- 初めて導入した業種での営業手法が大手にはまり、色気をだした社長が東京営業事務所を展開、なぜか直属の上司と二人で事務所に暮らす羽目に
- 色々あって社長に粉飾決算の尻ぬぐいさせられるのが嫌だったらしく直属の上司が退職
- 色々あって粉飾決算のつけを社員に払わせるため、一定期間が経過すると昇給させないという労基ぎりぎりの暴挙に出た社長に愛想を尽かし「一身上の都合により」退職
・東京の会社に営業三部部長として出戻り入社した前職の直属の上司に拾われ、飲食系のPOSシステム・受発注システムを扱う会社に入社
- 書きすぎると会社がばれてしまう理由で社長秘書室(室長の上司と二人のみ)付き
- 同じくの理由で経営企画室(経理部門合わせ五人構成)付き
- 開拓営業部門(営業第三部:二人のみの部署)所属
- だったのだが・・・この会社の営業本部長がエレベータ内で二人きりになると乳首を触ってくる変態で、度重なるパワハラにより折り合いが合わず営業部門を放逐され、「なんちゃってSE」として導入支援・調整部門所属に。
- 上司が本部長にしっぽを振る以外に仕事ができない超無責任野郎で、仕様すらない状況から度重なるDeath Marchを経験させられる羽目に
- トラブルがあると一時窓口をさせられるように(発注システムが深夜動くため、今度は本格的に24時間体制)
- 仕様がないためプログラマが適当に作ってトラブル続発
- さらに前提となる仕様がないことでトラブル解決すらまともにできないことを身を以って経験
- 見よう見まねで仕様作成を始める
・ここでプログラマと共通言語でコミュニケーションができないことが問題となり、基本情報処理技術者試験を志す。3回目に資格取得
- 度重なるトラブル解決と導入調整手腕が認められるようになるも、先の本部長の気に食わず立地の違う開発部門に島流しにされそうに・・・
- 開発部門の立地が東京からすると陸の孤島のため、就職に有利と思われる東京に残るためと、しつこくいやがらせしてくる変態本部長の影を人生から根絶するために「一身上の都合により」退職
・陸の孤島に送られる寸前に転職先が決まり、またもや新規開拓営業として今度はサーバ・クライアント形式のアプリケーション販売を行うため、小規模程度のSIerに入社
- 4人がかりで3年かけて4本しか売れなかった営業部長配下にされ、完全孤立状態で営業開始
- 首を切られかかっていた部長は優しいだけの人だったけど、課長級(降格処分済み平社員)の度重なる嫌がらせを受ける
- 販売するとSIerのくせに営業社員がServer構築とOracleインストールとアプリケーションサーバ構築まで全部含めた設定と現場への設置、導入研修をしてトラブル時の一時窓口まで行うという謎の中小企業的運用をまたもや経験
- 降格処分済み平社員が辞め、社長に甘やかされた生意気放題のゆとり世代女子も辞め、一人になった勢いで飛び込みテレアポ持てる全ての技能を使って9施設売り上げ30百万円、粗利益15百万円を1年で達成したものの、バブル期になんの苦労もせずに社長になったとっちゃんぼうやに新規開拓営業で受注を取ることの難しさを理解させようとする日々に愛想が尽きていた頃・・・
●東日本大震災発生
・連休を使って石巻にボランティアに行き、2か月たっていたにも関わらず遠い海岸線から山のふもとまで押しつぶされたガレキがそのままになって、道路と電線だけが建っている景色を絶望と共にながめ・・・
この時の光景を見て、今でもうまく表現できるか定かではないですが無力感と共に2か月の長きにわたってもがれきの下に取り残されている亡骸もきちんと供養できない無能な当時の政府に怒りを覚えると共に、社員であるがゆえに人を助けるための時間も充分にさけない自分の境遇に虚しさを感じ、生活費もままならない自分自身の不甲斐無さに悲しくなり
このままではいけないっ ( ゚Д゚)
と何も考えずに会社というかどこぞの正社員という地位を無一文で捨てたわけです。
ここから個人事業主としてつてをたどり、今お付き合いいただいている保育園様3園様のシステム保守及びシステム利用のコンサルティングのようなことを受託でさせていただきながら生活のために時給の仕事を始めました。
・1日21,000円も可能!というガテン系のなんちゃって広告にだまされたのと、出直すためには仕事の基本に立ち返るべきという一時の気の迷いで荷揚げ(楊重事業)という地獄に参入
- 実際に1日21,000円を稼ぐ猛者が元プロレスラーや元日本憲法日本チャンピオンという元超一流アスリートである現実を目の当たりにする。
- さらに普通の荷揚げ屋さんも1回に200kgを持っちゃう超人である現実に遭遇
- モノも持てない普通のおっさんとして怒られながらもなんとか一人で現場を任せてもらえるまでになり
- いつの間にか班長として新人さんの教育係みたいになって日に14,000円ぐらいは稼げるまでになったものの
- 体を酷使する仕事に限界を感じ始めたのと、荷揚げ屋さんで学べることも少なくなってきたので他の職を探すことに
・ある大型リリースで大量募集されていた某大手ベンダーのテクニカルサポートコールセンターエージェントとしてデビュー
- 80人が3か月で半分に縮小されるというサバイバルゲームを総合三位、テクニカルポイント一位という成績で生き残り
- 最新のプロダクトと1世代前のプロダクトのほぼ全てのスキルを習得し
- 施設全体で3人しかいない英語担当を任せられ
- 検索スキルを身に着けてもうこれ以上学ぶことがないところまできたところで
- 保育園様で仕事するために土日に働けるところを探して入ったこの職が日曜日完全休になるということで
・高時給につられ大手外資の物流システム・ハードウェア諸々のトラブルシューティング要員に
・合間を縫って某大手インターネット検索会社を退社した留学時代のルームメイトと「見えずの刃というアンドロイドアプリゲーム」を作成してリリース、大コケにコケるw
☆現在に至る。
こうやって書いてみると履歴書に書く「一身上の都合により」という言葉がものすごいオブラート効果を持つのだなぁと感心しましたwww
きっと一定期間以上働いた人だと、誰もが面白い仕事にまつわるエピソードの一つや二つ持っているだろうなぁと思います。
同時に正社員として転職活動する度に、「職歴」という訳の分からない一つの尺度がその人の人生を決定づけるという事実にも非常に理不尽さを感じさせられます。
きっと職歴以上に、本当は「プラモデル作らせると職人級」とか、「自宅の庭で作るトマトが異常にうまい」とか、仕事以上にその人を物語る何かが誰にでもあると思います。
履歴書などと言う薄っぺらい紙でその人を量りにかけ、途轍もない「上から目線」で人を「雇ってやる」と言い放つ法人とか言う会社って一体なんなんでしょうね。ヒエラルキーの頂点付近や大株主というただお金を出す人以外に、誰が得をするのかはなはだ疑問です。中には良い企業もあるのでしょうが、残念ながら私はそのような会社に勤める機会はありませんでした。
今は正社員を辞めたことについて全く後悔していません。社会一般的に見れば僕は派遣社員というよくメディアで見かける「非正規社員」というなんだか虐げられているように語られる人々に分類されるわけですが、自分の持っているスキルを最大限に発揮して見返りとして当然のお金をもらう人間として、とても誇りを持って生きています。
当然正社員として働く人だって、もらうお金は見返りとして当然だと思いますが、私の経験ではそれでも会社に「雇ってもらっている」という意識が強いように思います。
それは私もそのように感じていたと今では確実に言えます。それは我々が日本人だからそういう風に考える傾向が強いだけかもしれません。
MBAを受講していた頃、人事管理の授業で読んだ「Free Agent Nation」という本に非常に感銘を受けたことを記憶しています。多分、この本を読んだことが僕のその後の人生にとても大きな影響を与えているのだと思います。
この本でも紹介されていますが、時間を拘束される代わりにお金を得るという制度はほんの数百年前に成立したと紹介されています。
日本でも主従関係はあったものの、時間を拘束される代わりになんらかの固定の報酬を受け取るようになったのは貴族階級を除くと戦国の武将辺りが初めてなのではないでしょうか。
なんだかだらだらと書き続けてきましたが、「Free Agent Nation」に書かれているようにこれからの時代、僕が思うに今の企業と株主、経営陣、そして雇われる人々という関係性は大きく揺らいでいくのではないでしょうか。
もし、私が書いている過去のおバカな経験が、仕事をしていて悩んでいる誰かのお役に立てるなら最高に幸せです。
ここまでの長い文章にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
凄いですね。読んでいて感服しました。。
返信削除コメントありがとうございます。
削除私みたいなへんてこな経験まではいかずとも、皆さんそれぞれに色んなご経験されていると思います。世の中や会社などには評価されなくても、それらすべてがその人を物語る貴重な時間なんだということを、これからも伝えていければと思います。
振り返ってみるとそれほど大した経験でもないように思いますがw