2017/7/13
体重:63.1kg
体脂肪率:10.1%
基礎代謝量:1552kcal
基礎代謝量:1552kcal
トレーニング無
2017/7/14
体重:63.8kg
体脂肪率:10.4%
基礎代謝量:1554kcal
基礎代謝量:1554kcal
トレーニング無
断食直後からの食事は以下の通り。
7月11日
朝食・昼食・夕食共に
10分ミルク粥 150g
シソ昆布・梅干し
7月12日
朝食・昼食共に
10分ミルク粥 150g
シソ昆布・梅干し
※昼食にサバの味噌煮
夕食
納豆卵豆腐
りんご 半個
7月13日
朝食・昼食共に
おソノさんのミルク粥 150g
シーチキンサラダ 125g
※昼食にサバの味噌煮
夕食
納豆卵豆腐
シーチキンサラダ 150g
※毎食に以下を追加
温泉卵 2個
(予定)
※14日夜は飲酒
※7月14日以降
※14日夜は飲酒
※7月14日以降
朝食・昼食共に
おソノさんのミルク粥 225g
シーチキンサラダ
※昼食にサバの味噌煮
夕食
納豆卵豆腐
シーチキンサラダ 150g
※毎食に以下を追加
温泉卵 2個(7月15日追記:15日より停止。胃がもたれるため。)
7月17日
通常食に移行予定
※今日は酒を飲んでいる。帰省するまで飲まないつもりでいたが、仕事をしていて最近はやることが多すぎて寝る暇がないと仕事の同僚に言っている自分の気づいて、「あー、そういうことなのか」と思ったからだ。
なにがそういうことなのか?
断食を終えて気をつけながら食事をし、ジムでトレーニングをしたりしていて時々感じたことがある。
それは、何かをしていて「パキッ」と音が聞こえる感じがして何かのスイッチが入るような気がすることが度々あったからだ。
以来、世の中がものすごいスピードで動いていることに驚いている。実際今までと何も変わらないのだけど、実はすごいスピードで動いている。
多分、今までの俺は自分の周りで起こっていることに対して、まったく変わらないスタンスで臨んでいたんだと思う。それは身の回りの出来事を俺の縮尺に縮めてしまって実際に起きていることの本当の大きさをかなり小さく、遅く、見せていたのではないか。
そういう見方で他の人を見ていると、やっぱり他の人達も今までと同じスタンスでほとんどすべての物事に対処しているように見える。
例えば一人暮らしをしていると実は半年間、微動だにしていないモノが家の中にある。しかし普段の生活の中でそれに気づくことはまずない。そのくらい人間は自分が「普通だ」と認識していることに非常に鈍感で、それを変えようと思うことはおろか、それがそこにあることすら気づかない。
問題はそこに半年間鎮座しておられるその物体ではなく、それに気づけすらしない自分にあるのではないか。
自分自身が全く違うスタンスで日々を臨まなければ、自分の家にある物体の「おかしさ」にすら気づくことすらできない。我々は確かに保守的な生き物である。
偉そうに講釈を垂れている俺はどうか?
以前と全く変わらない。いや、本当に何も変わらない。
ただ、自分の立ち位置が恐ろしいぐらいあやふやになった。その代わり、今までいつも変わらずに見えていたモノが日々全く新しいものに見えるような気がしている。
多分断食明けでハイパーアクティブになっているのだろう。だから、般若心経ではこう言っているのだろう。「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。」
多元的に「その状態」を述べようとしているこの古典は、今もその新しさを「そこに逝った人間」に提供し続けているのだろう。
その「宗教」という考え方を一切寄せ付けない真理の言葉は、宗教のただなかに在ってその本当の意図を失っていない。
※仏門に帰依しておられる方や、即身仏を信仰されている方で一連の記事を不快に思われる方がもし居られたらお詫び申し上げます。
※羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。(ぎゃーてーぎゃーてー、はーらーぎゃーてー、はらそーぎゃーてー、ぼーじーそわか。)
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