2017年5月2日火曜日

実家帰省中Ⅱ 俺んち初代のお話

(For English users, there is an English entry: here)
今日は母が刈っている畑へと続く道の草刈りである。母曰く、4月の中旬まで母が肺の手術を受ける前には一回刈っていた道が下旬までの雨で一気に伸びたとのことだ。


大根の花というが、とてもきれいな花をつけたこの草が草刈り機に絡み付いてなかなか厄介である。


俺の実家は俺で4代目となる。初代、つまり俺のひい爺さんは角島でも結構な大地主の次男に生まれたと聞いている。そして、この地方なのかどうなのか、大体次男以降は他の家の養子にもらわれるか、寺に出家するのが慣例だったそうで、御多分に漏れずうちのひい爺さんも他の家に養子になったそうだ。
(写真解説:うちの畑へと続く道。全体が完全な放棄地になった段々畑というか、かつては田んぼが連なる立派な土地だったこの放棄地の主な農道を、昨年の夏に母がすべて切り拓いた。)


しかし、うちのひい爺さんは俺を実際に知っている人ならわかるかもしれないが、俺の数倍放蕩息子だったらしい。どのくらいめちゃくちゃだったかは今は知る由もないが、ただ一つ確実に言えるのは養子先から追い返されるほどだったということである。
(写真解説:上の写真の林を抜けると、今度は50メートルほどの直線の道が続く、ここも当然、家の土地ではなく単なる農道である。遠くに見えるのはうちの母ちゃんである。)


そうやって考えてみればある意味幸運だったのかもしれないが、通常はほとんど行われなかった「分家」ということをして、本家の土地を分けてもらってうちの実家は始まった。今でも本家と分家として角島では認知されていて、行くところに行くとそのように呼ばれる。
(写真解説:上の写真の道を刈った後。今日はここまでで家に帰ってサザエを拾いに帰ることにした。前を歩くのはうちの母ちゃん。道が拓けて初めてここが道であることに気付くほどだが、かあちゃんが道を拓いた当初は母ちゃんの横にそびえている茅の草が全体を覆っていたらしい。
母ちゃんは今日までの道を3日で拓いたらしい。70近い婆さんの体力で行ったとはとても思えない。俺も手伝ったとき、同じ背丈の草を10メートル刈るのに2時間かかり、めまいがするほど疲れたのだ。)


が、どちらかというと家の父親の息子としてだったり、兄貴の弟として呼ばれることの方が多い。これは今回のシリーズで少しずつわかってくると思う。
(写真解説:刈った後の林の前の道。)


ひい爺さんは前の投稿でも書いたが石工というか土方の棟梁のようなことをしていたらしく、相当に金回りがよかったそうだ。良かったそうだが、ほとんどを酒で飲んでしまったとも聞かされている。
(写真解説:草を刈った後の出入り口の道。草を刈ると本当にきれいに見える。)


小さいころから聞かされているのだが、角島にある井戸の3分の2はひい爺さんが掘ったものだということだ。8割がた、と聞いているが井戸は昔からあるだろうから少し話が盛られていると思うので、少し控えめに書いている。
(写真解説:この日も潮が引いた時を見計らってサザエを探しに出た。何か落ちてないか探している母ちゃん。)


話半分というのはそこだけで、金回りが良かったがほとんどを酒で飲んでしまったと言うのは実際の話のようである。ひい爺さんは俺の父が17歳の時に、リアルに酒の飲みすぎで死んだと聞かされている。何故酒で死んだとわかるかと言われると、当時の医者に酒をこれ以上飲むと死ぬるぞと脅されていたにも関わらず、死後、牛小屋の天井から一升瓶が山のように隠されているのが発見されたと聞かされているからである。
(写真解説:どっかのおばちゃん。向こうは俺のことがわかるらしいが、俺にはどこの誰かもわからない。説明を聞いてもまるっきり頭に入ってこない。)


それと、ひい爺さんがどこまでめちゃくちゃだったかは、実際に俺が継ぐことになっている土地からも見て取れる。俺が引き継ぐ土地はほとんどが僻地で、いろんなところに飛び地になっている上に出入り口を本家のものとして抑えられていたのである。理由は「酒のために売ってしまいそうだ」からだったそうである。出入り口が抑えられていると土地には値がつけられなくなるからそういうことをしたらしい。
まったく信用されていなかったのが良くわかる。そんな人が家の初代である。俺がこんな性格をしているのもある意味しょうがないのかもしれない。
(写真解説:あまり金もないし土地もすたれているが、漁権を持っているので季節に合わせていろいろなものがとれる。この日は俺に丸坊主を食らわせた叔父ではなく、大工をしている別の叔父が「カラス貝が食いたいから採って来てくれたら新しく作ったベランダの足台を引き換えに作ってやる」と言われてカラス貝を採った。後で文句を言われないように大きいものだけを選別して籠に刺さっている「ガゼ引き」で引っ付いている岩から剥がすようにして採るのである。結構な時間をかけて採ったので叔父貴も喜んでくれていた。)


うちの家はひい爺さんの次男、俺の大叔父が初めて建てた家だそうである。そして2軒目を建てて壊れて怒られたので大叔父は大工を辞め、放蕩の限りを尽くしたそうである。そちらの家系はやくざもいるとかいないとかと聞いている。まともなのは女性だけだそうだ。
(写真解説:家に帰ると猫が家に面した道路を見張っている。新しくできたベランダも物珍しいのだろうと思う。)


ひい爺さんがとんでもない人だったからか、うちの家系の大叔父側はほとんどがやくざ者で消息不明になっているらしい。今母親が相続を俺にまとめてくれようとしているらしいが、ほとんどが消息不明になっているので大変だそうである。ちなみに大叔父はうちの爺様が相続をまとめようと話をした時に「金をよこせ」と言ってご破算になったらしい。
(写真解説:うちのかあちゃんが大工の叔父貴に頼んで造ってもらったベランダである。かあちゃんこれが出来てとてもご満悦だ。ついでに屋根がぐねぐね歪んでいたのも下から支えて直してもらった。)


金にしても二束三文にもならない土地とぐれた大叔父がほとんど素人で造った家なのだが、自然に恵まれて食うものが都会では考えられないぐらいうまいのはありがたいことだと思う。この日のメニューは親父の同級生でとてもよくしてくれる漁師のおいちゃんがくれたヒラマサの刺身と海岸で採れた貝の煮物、家で採れた野菜と料理動画のために作ったレンコンのチーズ焼きである。


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