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5月2日のこの日、放棄地のど真ん中にある畑までの道を刈って、高畑を耕すのも終わったので、田尻というところにある放棄地のど真ん中にあるうちの畑のあぜ道を刈ることにした。
かあちゃんは以前からここにある畑をトラクターで耕したいと言っているのだが、道が狭いところや下の写真のように木の切り株があって危ないので止めておけと言っていた。しかしうちのかあちゃんはあきらめが悪い。話をするたびにその話をされるため、俺の方が根負けして土木工事をすることにした。
うちのかあちゃんはとかく諦めが悪い。親父が死の淵から何度もこの世に呼び戻されたのも、俺が今のように頭脳労働で食っていけているのも、かあちゃんの諦めの悪さのおかげである。
今ではそれほど珍しくないと聞いているのだが、俺は2歳になっても話すことはおろか、立つことすらしなかったらしい。当時、近所の内科兼小児科の開業医にかかったところ、「この子は知恵遅れだから覚悟しろ」という宣告を受けたらしい。
(写真解説:上の写真の斧で地面に埋まっている切り株を叩き切って取り除く。薪割りのように腰の位置に合わせて斧を振るのと比べ、完全に足元にあるものに対して斧を振るのは結構きつい作業である。)
医者という職業はある意味いい加減だと言うことをある程度内情を知るとわかってくるのだが、何かシャーマン的な力を持つ、それこそ前時代的な発展途上の統計情報をかあちゃんは真向から否定した。
(写真解説:一つの切り株を取り除いたところ。30分がかりで斧を振り続けてようやく一つだけである。これが後5・6本あるのを見るにつけ、少し取り掛かり始めたのを後悔してしまう。)
その日からかあちゃんは歩かない俺を仰向けにし、俺の足の裏を「こうやって歩くのだ」と押し続け、暇さえあれば本を読み聞かせた。
その後、俺は何とか歩くようになり、10歳ぐらいまで友達と普通にコミュニケーションができるようになるまでになった。話が少し逸れるが俺は10歳の時、どうやら俺の日本語がちゃんとしたコミュニケーションが取れないレベルでおかしいことに気づくことになる。軽い言語障害だったと思われることを合わせて考えると、確かに少し特殊な成長過程だったのだろうと思われる。
(写真解説:斧を振るのに疲れ切ってしまったため、草刈りをすることにした。現在開拓されている畑は全部で6枚でここが1番初めに切り拓いたところである。それほどあぜは目立たないが、ここからあぜ道をつけていく。ちなみに家の土地は大町と呼ばれる大きな畑が未開拓のまま残っている。今開拓されている土地全体と同じぐらいの広さがあるらしい。)
発達障害に加え、兄貴はアトピー、俺は卵アレルギーを患っていた。兄貴のアトピーは東京から居を変えて少ししてから改善していったらしいが、俺の卵アレルギーはひどかったらしく少しの量でジンマシンやらが全身に広がっていたので難儀したそうである。
大体卵が入っている食品の種類は異常に多いので、ひどく苦労して食事を作ったらしい。
そして、かあちゃんの諦めの悪さはここでも発揮される。
(写真解説:1枚目の畑を刈り終え、2枚目の一段高くなった畑に取り掛かる。2枚目以降の畑は大半が最後まで何かを植えていた様子で、そこまで荒れてはいなかったようだ。肺の手術を終えたばかりのかあちゃんは3か月間、草刈機を使うことを医者から禁じられているためちょっとした掃除などをして、草刈りは俺に一任した。)
かあちゃんは俺の食事に少しずつ卵を加え、食べ終えた俺の全身を触診し、結果を基に量を調整しながら俺が10歳を超えるぐらいで根治させてしまったのである。
後日アメリカに留学し、健康診断を受けた時に「アレルギーはあるか?」との設問があって、看護師の方に「昔卵アレルギーがあったが今は根治している。書くべきか?」と聞いたところ驚嘆していた。卵アレルギーがどの程度根治が困難かについては全く知る由がないが、治ったものは治ったのである。毎日生卵入りの納豆を食っても今ではなんともない。
(写真解説:2枚目の畑。左側に見える少しこんもりした草がハナッコリーという植物らしい。かあちゃんは放棄地のど真ん中に黄色の花を咲かせたら気持ちが良いだろうということで昨年の冬に植え付け、ハナッコリーは見事に花を咲かせたらしい。)
俺が10歳の時からかあちゃんは看護師として働き始めた。かあちゃんはとある大学医学部付属の看護専門学校のような学校(その後その学校が色々と変遷しているためこのような書き方になるのだが)に通って免許を取り、親父との結婚と同時にいったん専業主婦をしていたのだが、俺と兄貴の学費が必要になることを見越して働き始めたらしい。
卵が食えるようになった俺は卵焼きから叩きこまれ、いっぱしの家事ができるように教育された。このころから兄貴と俺は全然違う行動パターンを示したらしく、兄貴は家事全般一切のことに対して協力をしなかった。何故か弟が兄貴の食事の面倒をみるという生活がその後しばらく続く。
(写真解説:2枚目の畑は縦に長い。花が咲いたころはツキノワグマの月の部分みたいな形だっただろうと想像している。かあちゃんは来年はさらに花を植える範囲を広げて島の人間を驚かせたいと考えているようだ。)
俺が11歳の頃、当時の小学生が受けさせられていたIQテストで俺と兄貴は高得点を取ったらしい。当時の俺の担任に「あんたが働きに出てこの子達がぐれたらあんたの責任だ」などという暴言を受けたらしい。
俺については見事にぐれてしまったのだが、それでもこの時からかあちゃんが働いて少しずつ金を貯めてくれたので兄貴は医学部を卒業し、俺はアメリカの大学院まで行かせてもらったことを考えると、当時の担任の大きなお世話は母の逆鱗に触れたようで、家事と仕事の両立を見事に成し遂げた。ちなみにIQに関しては俺の方が兄貴よりずいぶん高いことだけは俺の名誉のために申し添えて置く。
(写真解説:草を刈る前の5枚目の畑。5枚目の畑は道に隣接しているため、ここにトラクターを入れられるようにすることで農作業の効率化を図りたいらしい。高く生えているこの草は茅で、根っこが異常に固く草刈りの難易度は非常に高い。半分ぐらいのところで心が折れかけている俺をかあちゃんは「こいつあきらめるやろうか?」と見ていたらしい。かあちゃん、確かに半分ぐらい折れかかっちょったよ。)
かあちゃんはその後、大きな総合病院に転職し、総婦長に上り詰めることになる。ただしかあちゃんはあくまで金のために働いていたようで、仕事はともかく職場環境を嫌い抜いていた。
(写真解説:刈り終えた5枚目の畑。草がなくなるとようやくこの畑が一応は平たんな場所であることに気づかされる。去年の夏に切り拓いてから都度草刈りをしているかあちゃんには頭が下がる。こつは少しずつやることなんだそうだ。)
そしてかあちゃんは親父の肺がん発症とともに状況に合わせて職や働き方を変え、親父を支えることに専念した。親父が亡くなった時はさすがに憔悴していたが、電話するだけだと話すネタが無くなることが危惧されたため、以前俺が作っていた料理動画を再開して一緒に作ることにした。
部品代をかあちゃんに出させ、PCを組み立てて携帯電話で動画を録る方法を教え込み、毎週1回の打ち合わせで週1回の動画アップロードを現在まで継続している。まともにPCを触るのはかあちゃんにとってこの時からなのだが、新しいことに挑戦するのは苦にならないらしい。
(写真解説:一仕事終えた畑でクレソンとセリという野菜を収穫したかあちゃん。実験的に植えた植物が根付いて満足気である。)
親父の帰郷と共にほとんど知り合いのいない島に定住することになったかあちゃんは、過疎化が進むこの地に住む人たちが何ら対応をしないことを親父の存命中から危惧していたらしい。
昨年の7月に俺が久しぶりにウニを採りに帰った時、俺はかあちゃんに「他の誰もしないのであれば自分がするしかない。結果のわからないものに挑戦しようとする人間はそういるものではない」と言い、一転暇人と化したこの婆さんの諦めの悪さに再度火をつけることに成功した。
かあちゃんは去年の8月から完全に放棄地と化した上の写真の道を刈り始め、友人の協力もあって400mにわたって背丈以上に伸びた雑草というか荒地の道を切り拓いて他の道と完全につなげることに成功したのだ。
(写真解説:家に帰って食事と昼寝をしたら、先日刈った家の周りの雑草が丁度乾いていたのでたき火で燃やすことにした。道に散乱した雑草を集めていく。)
昨年の冬までに切り拓いた道に隣接する畑を何枚か開拓したかあちゃんは、今度は何の植物が売れるのか、どのような土地でどのような植物が育ちやすいのかについて調査を行い、今年、角島原産が疑われる蕎麦とかぼちゃ、ササゲなどの豆類を実験的に植えることにしているようだ。
(写真解説:家の納屋から表通りに抜ける道は昔からユリが自生している。この草を焼くと独特な匂いがしてかなり長いことくすぶるような焼け方をする。右下に写っているのはかつて米の保存に利用されていたものを利用してかまどに作り替えたものである。こちらは2代目の自作かまどである。)
昨年の冬、寒くてあまりやることがないかあちゃんは近所中の椿の種を拾い集め、椿油を自作することに成功した。売ろうと考えたが椿油などのように化粧品としての用途を持つ物には化粧品製造販売業という免許が必要らしい。
こちらについてはダメもとで免許取得を試みている。
(写真解説:表通りに面した初代の自作かまど。かあちゃんが毎日の散歩の後に友達とたき火をしたいというので去年帰省した時に増設した。これで家の前の道で刈った草を焼く。)
そして最近、かあちゃんは近所の道の駅での販売権を取得した。家の周りに自生しているミカンを含めた農作物を販売しようとしているのだ。
俺がすぐに実家に帰るわけにいかない現状、かあちゃんには申し訳ないが年金生活に甘んじてもらう暇はない。なんとか販路を拡大し、年間200万円程度の収益が上げられるようにしてもらう必要があるのだ。物価が安く、既に家があるので200万円あればなんとか生活できる水準になる。そこになんらかの職で得る収入を合わせれば生活は楽になると想定している。
(写真解説:ゴールデンウィーク前日のこの日、兄貴の家族が姪っこの習い事が終わってから帰省すると言い出したため、帰省予定時刻の23時頃まで起きていなくてはならなくなった。酒を飲まずにいようと思っていたのだが、親父の親友の漁師のおいちゃんが「まるご」という魚をくれたため、21時まで我慢して一杯やることにした。かあちゃんは19時には食事を終わらせるため、今日に限って食事は自分が作ることにした。
畑で採れたクレソンはそのままサラダにして、セリはかあちゃんがゴマの和え物にしてくれた。「まるご」はやはり漁師さんだからだろうか、絞め方がうまいのか格別にうまい感じがした。)
野菜を切るだけ切ってくれたかあちゃんは眠気に勝てず眠りに落ちた。ニンニクの芽と玉ねぎ、牛肉を塩コショウと瓦そばのツユで蒸し焼きにしてみた。半分ほど食ったところで兄貴が帰省し、残りの半分を兄貴に食われてしまった。
いつまで俺の作った料理を食うのだ、貴様はっ( ゚Д゚)
兄貴の嫁さんのお母さんも同行してきたため、あらかじめ敷いていた布団が足りずにこの日の俺はかつて親父が寝ていた母ちゃんの横に寝ることになった。
実家で飼っている2匹の猫がかあちゃんを守るように入れ替わり立ち代わり、かあちゃんの眠りを妨げないように静かに見張りをしている。これならしばらくはうちのネコ科小型動物がかあちゃんを守ってくれることだろう。
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