2017年12月12日火曜日

何もしないをやってみる Part. 6

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東京から実家のある山口までの道半ば、鳥取で奇しくもバイクが故障した俺は引き取りの業者さんに見送られて鳥取駅から岡山、そこから新幹線に乗り、駅まで迎えに来てくれた母の車で実家に帰宅した。

思えば途中までとは言いながらバイクで一日で帰ったのである。後から思い返すととんでもないことをしたものである。

今は以前書いた通り、従弟の会社の倉庫にある事務所を間借りしてFX取引をしながらこの記事を書いている。実際に俺のことを知っている人も見てくれているブログなので、早く更新したかったがバイクは修理してから搬送まで時間がかかっていたし、従弟も仕事の合間を縫って机を作ってくれたりだったため、PCの搬入・設置まで時間がかかっていたのである。

どちらにしてもPCを使えるようになるまではほとんどなにもできない。とりあえず引っ越しの荷ほどきをしながらこれからの職場である実家の納屋の状況を改めて確認してみた。


俺が当主になるまでの三代で、ずいぶんと色々なものが堆積している。3代目である俺の親父は俺と同じで道具フェチだったため、測量の機械や溶接の道具などという使い方がわからないものも含めて一通りの建築・施工ができる道具がそろっている。

さらに二代目の爺さんは漁師で農家だったため、これまた使い方がわからない農機具や何故かトラックの座席などが朽ちている。かあちゃんに言わせると底見(そこみ:船の上からさざえやあわびを突いて採る漁法)の時に船のへりに当てるクッション材などに使ったり、とにかく物は捨てないで工夫して使っていたらしい。そういえば俺も着れなくなった服をウエスにして使う癖がついている。

まずは堆積している色々なものを選別して捨てるものは捨てる、整理するものは整理することにした。いつになるかは不明だが・・・

取り急ぎかあちゃんが火を起こすだけ起こしてそのままかまどに堆積させた灰を畑に撒くために掃除してみた。前日火を焚いたので、鉄製の釜に入れてみる。

そしてただ焼くだけでは時間の無駄だということと、納屋の周りに生えている建物を侵食してくる竹を切る必要があることを合わせて考えて、竹炭を作ることを思いついた。ネットで調べてみると一斗缶に竹を入れて焼くだけでできるということだったので、家に放置されていた一斗缶を使って竹炭を作ってみた。

上の画像は三度目のものである。初回は良く分からなかったので青竹の状態で葉を多くして作ったが普通にできた。少し炭になり切れていないものがあったため、二回目では枯れたものを入れて作ってみた。葉を少なめに作ってみたところ、ある程度の出来に仕上がった。

上の画像の左が二回目のもの、右が三回目のものである。所要時間は大体6時間程度、火を入れ始めてすぐに黄色い煙が出始め、それが白くなり最後に煙が出なくなったくらいで頃合いのようだ。

右の画像は火を入れた直後に撮ったため、しばらくほっておくと中から煙が出始めた。すぐに蓋を締めたので事なきを得たが火から上げた直後は内部はまだ高温らしい。蓋をすぐに開けるのはやめた方が良いだろう。

元々この竹炭は七輪に入れて使うことを考えた長さに整えている。七輪に入れて焚いてみると普通の炭だと燃え切らない部分が出てくるのだが、この炭はすぐに火がついて高温を結構な時間保ってくれる。

今後は綺麗にパッキングして、近所の道の駅で販売してみようと考えている。

とりあえず勢いに任せて帰って来たものの、FXで生活できるかどうかっていうのはリスクがかなり高い生活実験になりそうである。が、始めてしまった以上なんとかしてみるしかない。もう人に雇われたり、他人に雇われた人と一緒に働くのはまっぴらご免である。それにどうせ生きてるなら自分と自分の家族のために精一杯時間を使いたいのである。

最近俺に優しくなってきたうちのお猫様(こころ嬢)です。


12月8日、シリーズ了。

金融日誌 2017年12月12日 開始前

12月4日からFXを稼働して、今日で7日目になるが今のところ成績は64,000円程度の勝ちとなっている。

原資を稼働開始前までに勝っていた25万円と追加で25万円、合わせて100万円からのスタートである。
前の職場に嫌気がさして辞めようと考えていた当初、東京でやっていくことを考えていたことを思うと悪寒を禁じ得ない状況だが、実家に帰ってきてからほとんど金を使っていないので現時点での勝ちはぎりぎり許容範囲内と言ったところだろうか。

開始当初は日中の日本時間、そしてロンドン時間に慣れずにポジションを取ってしまったため一時6万円負け程度まで凹んだが先週の木曜日に5万勝ちまで戻して以降は少しずつだが慣れてきているように思う。油断は禁物だが。。。

さて、12月12日、前日のロンドン市場時間で113円30銭程度まで落ち込んだドル円はアメリカ時間で前日の水準である113円50銭を超えた水準まで戻してきているが、この一週間の感じだと日本時間はどうやらネガティブな情報に過敏に反応する度合いが強く、ヨーロッパ(現時点ではどこの国が取引に参入しているかは知らないが)時間である16時付近で強気に、ロンドン開始ぐらいではその日の様子を見て反応しているように見える。

現時点ではポジションを取っておらず、開始直後の状況を見て売り・買い双方でポジションを取ることを考えている。
16時時点では開始前に下げてきているようなら買いでポジションを取るが、でなければ開始してからの状況でこちらも売り・買い双方でポジションを取ろうと思っている。

ここ最近の日経・ダウ平均ともに加熱感が高くなっているのではないかと個人的に思っているので、できれば売りでポジションを取りたいが、それも状況に応じてになるだろう。

日本時間8時55分。

*本稿は、ブログ主の個人的見解に基づいています。

*このドキュメントは、投資活動を推奨するものではなく、また取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは推奨されていません。当ブログは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる助言も意図していません。このドキュメントは、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではなく、ブログ主の投資・投機活動の履歴に過ぎません。

2017年12月11日月曜日

何もしないをやってみる Part. 5

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トラックに煽られて恐怖心に負けてトンネルで停車し、煙草を一本吸った俺は再びバイクのエンジンをかけて走り始めた。永遠に続くのではないかと言う雪のわだちの綱渡り運転である。

ほどなくして煌々と灯りの灯るエリアについた。智頭というところでここから先は鳥取道は夜間道路規制で迂回しろということなのだ。とりあえず高速道路っぽい道が終わったことに少しほっとしながら、鳥取道を降りると急な坂道を降り始めた。同時に雪が雨に変わった。

人間の順応力は非常に高い。雪が雨に変わっただけで温かく感じるのだから不思議である。ようやく山を超えられたのかと少しほっとしながら、時折民家のある道をひた走る。

暗い道で他の車が来たら先に行かせ、追尾する安心感。最悪の状況を脱したとは言え、ここで気を緩めるわけにはいかない。雨が降っていて雪程ではないにしてもスリップの危険性は常について回るのである。

そして鳥取南という標識を超え、ようやく鳥取に入った。ここで止まっても良かったが真夜中の鳥取でインターネットカフェがあるようにも思えない。何しろスターバックスが開店しただけで大騒ぎする山陰地区である。我慢して米子まで歩を進めてから一日休むとしよう。

そう思ってようやく2車線に増えた道に入り、信号という文明の利器に大自然の脅威から逃れたことを感謝しながら停車して発進しようとしたその時

アクセルを回してもバイクが進まなくなってしまった。エンジントラブルか?と考えて路肩に止めてエンジンを一旦切り、少し待ってからエンジンを始動してみるがバッテリーが切れた症状を示し、やがて雨足の強くなる真っ暗闇でライトも力尽きた。

道中気になっていた硫黄の匂いについて、ここで理解した。つまりバッテリーの中の塩酸が蒸発する匂いだったのである。しかしその状態でここまでよく走ったものである。故障してしまったことに対する無念さよりも、よくも山中で止まらずここまで我慢して俺を運んでくれたことに感謝した。

止まったところはモービルのガソリンスタンドだったが、夜間は閉めているらしく真っ暗だ。まずは暗闇の中で周りを見渡してみると目が暗闇に慣れてきて、周囲は事務所や倉庫などが立つエリアであるように見えた。そして、2・300メートル程離れたところに明るく光るガソリンスタンドらしきものが見えた。

出光石油・9号線鳥取トラックステーションSS様である。取り急ぎ店員さんに状況を伝え、携帯電話の充電をさせてほしいと伝えた。

店員さんは割と高齢に見える人で、とても良い方だった。店に備え付けなんだと思われるiPadで付近のバイクショップを検索してくれたりと色々と気を遣っていただいた。

ここでそれまでわからないまま走っていた時間が判明した。朝の3時半である。普通の人々が起きる時間までまだしばらくあるが、まずは保険会社に電話である。バイクに積んでいる保険の証書を見るが自賠責保険しか積んでおらず、名前だけの記憶でまずは東京海上日動さんに電話してみた。

電話の窓口の人は大変いい人で、住所や電話番号で検索したもののないので調べて折り返すと親切にも言ってくれた。

おかしいなと思って契約しているバイクの代理店をネットで調べたところ、相生ニッセイ同和損保だった。。。東京海上日動さん、真夜中に本当に申し訳ありませんでした。

相生ニッセイ同和損保さんでバイクの修理工場までの引き取りをしてくれる業者さんを手配してくれて、業者さんが来るまで待たせてもらうことになった。

業者さんが来て、保険会社の保険の適用範囲などについてひとしきり話し合った後、引き取りに来た業者さんのところで修理してもらって、保険の適用範囲内で修理後搬送というので運んでもらうことができるということになった。

業者さんに硫黄の匂いの話をしたところ、レギュレータの故障でバッテリーに過負荷がかかってバッテリー液が蒸発したのだろうということだった。確かに以前もレギュレータが故障したが、前回は低回転でエンジンが止まるという現象だったのでわからなかったのである。相棒のバイクは蒸発していくバッテリー液に我慢しながら、雪の山中を山の向こう側まで送り届けてくれたのだ。

ホンダのCBR系のレギュレータは故障が比較的多い機種らしく、よくある話だと教えてもらった。ここだけの話だということだったが、名前をさらさなければ大丈夫だろう。業者さんネタの提供ありがとうございます。

後になってよくよく考えてみると、間違って伊勢神宮さんに行ったこと、行くことも戻ることもできずに鳥取まで走ったことは逆に良かったのかもしれない。

伊勢神宮に行くことなく順調に道を進んでいったと仮定すると、おそらく道路情報などを確認することなくもっと雪深い米子自動車道に突き進んでいってしまったことだろう。雪の中で遭難などという訳のわからないブログ記事になってしまうところだった可能性は大いにある。

大阪を超えたところで時間に余裕があり、ホテルを探して泊まったとしたらあの状況であれば翌日確実にバイクは始動できず、大阪からの搬送費は保険の適用範囲を超えていたのではないかと疑われる。聞いたところによると保険の適用距離は直線距離でざっくりと算出されるらしく、鳥取からの直線距離であればなんとか実家である山口県まで修理の後で運んでもらえる距離だった。

不運と偶然と無軌道な性格から、金と体力のギリギリの着地点で折り合ったのはあの時、伊勢神宮さんにある豊川茜稲荷神社さんに立ち寄ったおかげなのだと思っている。

もう少しだけつづく

2017年12月10日日曜日

何もしないをやってみる Part. 4

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ノリで書き連ねていて小説的な感じになってきているが、このシリーズは紛れもない実話、体験談である。

戻るに戻れなくなった中国道から、当初予定だった米子自動車道を雪で断念し、比較的平坦な印象の、スノータイヤ規制とは書かれていなかった鳥取道という「道に自動車と書かれていない」ことが一抹の不安を感じさせる道に進路を変えて、目に入ってくる情報には細心の注意を払いながら進んだ。

前後に車の気配がない状態がしばらく続く。かつて車で九州地方を営業して回っていた頃、宮崎から熊本に抜ける山中で道が崩落しており、文字通り山の中を切り拓いて作られていたアスファルトでもない山道で味わった不安を思い出す。

そして予感は的中するのである・・・

まず、智頭~鳥取南間は夜間交通規制という看板。民家の灯りすらない山中でやたらとはっきり自己主張する明るい看板である。う回路があるとは書かれているものの、これはひょっとして夜間は道路凍結するからではないか?という不安に襲われる。

そして進むにつれてもっと悪い情報が目に飛び込んでくる。

「スノータイヤ規制」である。
サービスエリアで米子自動車道にははっきりと表示されていたにも関わらず、鳥取道には表示してくれないものなのかっ?!

しかも進み始めて表示されていてもどうやって戻っていいかもわからないではないか。かつての宮崎~熊本間の山中移動でも直前で崩落の情報が書かれていた。一体日本の地方の道路行政はどうなっているんだ?

しかし思い悩んでみても仕方がない。多少辛い状態であっても永遠に続くことはない。雨が降ってきたが所詮雨である。スノータイヤ規制だって多分、朝方に道路が凍結するぐらいの温度になるくらいの話だろう・・・しかし道路上にところどころに置かれている温度計は一体なんのためなんだろうか・・・?

ヘルメットのシールドを叩く雨に何か「ふわり」と当たってくる物体がある。進むにつれてその柔らかく撫でてくれるかのような印象の物体が、まるで雪女さんの美しい悪魔の微笑みであるかのような雪であることに気づかされるまでそう長くはかからなかった。

何故か? だって積もってるんだもん。。。

どおりでところどころに温度計が置いてあるわけである。そしてバイクを進めていくごとに気温は2度からマイナスへと変わっていく。もう先行きに不安しか感じなくなってくる。いや、超えれば終わるはずだ。終わってくれなきゃ やだっ (ノД`)・゜・。

なんとか器用にトラックが作ったであろう雪のわだちの上を走り、これすらなくなったら手詰まりだと考えていた。暗闇の中、温度計が指す温度が少しでも上がってくれないかと思いながら前後に車すらいない道を走る。

こういう時、前後に車がいないことは自分が人間社会で守られている領域を少し外れて大自然と対峙しているというとてつもない恐怖を感じさせる。

いや、今俺が着ている漁師仕様のカッパは親父の形見である。きっと親父がついていてくれる。。。

と、ワインディングしている道路でミラーに時折光が見えるような気がした。とうとう幻視まで見えるようになったかと速度を落とすとそこには3台のトラックがスピードを上げて追い上げてきた。

親父・・・ (ノД`)・゜・。

とりあえず徐行してトラックに先行してもらいスピードが速いため追いつけないものの新たに作られた雪上のわだちをひた走る。親父のことを考えた刹那、トラックが追い上げてきた瞬間には不覚にも涙ぐんでしまった。

と思っていたら次から次へと後続車が走ってきた。なんだ、意外と使われているのね鳥取道 (*´▽`*)

しかし前後に人がいるというのは山中の行軍で非常に心強いものがある。というか逆に、雪の上を走っている時に後ろから煽られるのはとんでもない恐怖心をも同時に煽ってくる。

これ以上雪の上を走るのは無理かもしれない・・・と、そう思いながら時折現れるトンネルで恐怖心に負け、生まれて初めてトンネル内にある非常駐車帯で停車した。途端に車の気配がなくなり、トンネルの薄明りの中一人になる。

トンネルというのは中に止まると異様な雰囲気の場所である。よく心霊番組などでも取り上げられているにも理由があるのを初めて体感させられた。しかしここで心霊が出てきたところで生命の危機にさらされている俺にとって雪上でトラックに煽られる恐怖に比べればどうということはない、なんならブログのネタにしてやる かかってこいっ( ゚Д゚) などと考えながら煙草を吸った。

煙草を吸いながら周りを改めて見まわしてみる。肩の位置に人が歩くことを想定しているのか歩道のようなコンクリートがある。すぐ近くには非常口と書かれたおなじみのドアを抜けていこうとするピクトさんがいる。

寒いのは寒いが風もなく、前後の雪道から考えると天国のような温かさである。丁度バックパックの中にはホワイトガソリンで動くコンロもある。一晩をここで明かそうかとも考えたが致命的な物品の欠落に気がついた。水を持っていないのである。

高速道路はところどころパーキングエリアなどがあるので水分補給には事欠かないと考えていた俺が甘かった。サバイバルの基本である水がなければ長時間を過ごすことは難しい。しかも少し煙草を吸って落ち着くとやはり心霊現象などを想像する恐怖に耐えながら一夜を明かすのは嫌だ。携帯電話はただの冷たいガラス板と化していて助けを呼ぶこともできない。仮に電話できたとして、バイクは故障はしていないので保険会社を呼ぶわけにもいかないのだ。保険会社に電話したらそれは単なる無謀なバイク旅の馬鹿なおっさんである。状況がこれ以上悪化したら絶望するしかないが、ここまで長く連れ添ってきた相棒のバイクが生きている以上、バッテリーはビンビンダゼっ♪と涙目で強がる他ない。

大丈夫、俺には親父がついている。先に進もう。。。

つづく。

2017年12月9日土曜日

何もしないをやってみる Part. 3

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前回までに中国自動車道という山の中の道に夜中に入ってしまったことを書いた。今は、高速道路という戻ることの許されない道をバイク行軍の最中である。

夜に入っての急速な温度降下で止まれるパーキングエリアには全て止まりながら進んでいたところ、加西パーキングエリアというところで大変な事実に気がついてしまったのだ。

まずは当初の予定の道順を見てもらいたい。


米子西を目的地にしたのは地図上で一番ホテルの価格が安そうだったからだ。米子自動車道を抜ける道である。地図は当然二次元であり、高低差などへの配慮など引っ越しの準備で忙しかった俺には毛頭なかった。

しかしである。加西パーキングエリアで、地図を見てまずある地名に気がついた。

大山って・・・あの中国地方確か唯一とか記憶しているスキー場の大山のことか?( ゚Д゚)

そしてパーキングエリアの路線図でさらに絶望的な語句が目に飛び込んでくる。
「スノータイヤ着用規制」
いやいや、11月に中国地方で雪ってどうゆうことだっ( ゚Д゚)

そもそも今回の道順は上越を通るつもりだったが、母ちゃんからの事前情報で雪が降るから止めて置けと言われて泣く泣くなんの面白みもない東名高速を選んだのだ。
上越地方で雪が降り始める時期だというのに中国地方で積雪だと・・・?

しかし規制と書かれていてはどうしようもない。チェックしているとも思えないが車ならともかくバイクでスリップは文字通り命取りである。

おとなしく岡山に順路を変えてホテルは無理にしてもインターネットカフェなどで夜を明かすか・・・と弱気になっていたところ、鳥取道という道に気がついた。

確かパーキングエリアでも直線で描かれていて、山越えを表しているように見える曲がった線で描かれている米子自動車道よりも印象的に平坦にも見えるし、距離も短く見える。何よりも地名に「山」という文字が入っていないことも好感度をアップさせている。

よし、この道を行こう。

しかしパーキングエリアで毎回止まるごとに人の数は減り、中で寝ているであろうトラックばかりとなっている。寒さも厳しくなる中パーキングエリアで泊まろうかと何度も思い悩みながら最後のパーキングエリアである揖保川サービスエリアで15分程体を温めて佐用JCTから鳥取道に入った、瞬間に今までよりも一層暗く、車も通っていない道になった。

そして戻ることのできない行軍はさらに絶望的な状況へと展開していくのである。

つづく。

2017年12月8日金曜日

何もしないをやってみる Part. 2

前回の記事(Part.1)はこちら

前回の記事では間違って伊勢神宮に行って、引き返すところまでを書いた。
目下の目標は何とか今日泊まれるところをできれば安い額で探すことである。

とは言えマツサカ牛を生み出す土地柄付近である。バイクで走りながら見る限りそのような宿泊が可能な気の利いた施設は見当たらない。
魔女の宅急便のように牛のごはんの上で寝るというのはファンタジーの世界である。一生に一度やってみたくは、ある。

次の分岐点は間違って通り越した亀山JCTから草津方面か、名古屋方面に戻る道である。時間的に名古屋に戻って宿を探した方が土地勘もあるので良いかもしれないと思ったが、性格的に来た道を引き返すのはプライドが許さない。

伊勢神宮は神様に呼ばれてお伺いしたのだっ( ゚Д゚)

草津方面に周りの街並みに注意しながら進む・・・ いや、山越えのルートである。町などほとんど見当たらない道がしばらく続く。

草津のサービスエリアに着いたのは確か8時前ぐらいだっただろうか。もう宿探しはタイムリミットに近いはずだ。多少高くても泊まった方が良いとしか思えない。
考えれば草津は温泉だ。携帯なんかで探せばすぐに見つかるかもしれない。

ここで携帯電話が生きているのは幸いである。恐る恐るエアプレーンモード(電池節約のためにネットワーク回線や電話回線を切ると電池の持ちが大きく変わる。かつて山の中で滞在して一晩で電池切れを起こしてから経験的に行っていることである。)を解除して付近の地図を探すことにした。

解除して・・・すぐに携帯電話の電源が落ちた。

この時もっていた携帯電話は一旦電源が切れると充電しないと起動することができなくなるという症状を持っていた。すぐにサービスエリア内で乾電池で充電できる充電器を購入してみた。
接続して起動・・・・だめだ・・・電圧が弱すぎるらしい。一旦充電器をつなげたまま走るしかない。時間を消費すればするだけホテルを探せる確率が低くなる。急がねばならない。

茨木というところのサービスエリアで止まって携帯を起動・・・ 頼むっ( ゚Д゚)

起動したっ(*´▽`*)

最近知り合いになった人からテキストメッセージが来た。テキストメッセージが送られてくるのはその人しかいないからわかった。

テキストメッセージの着信がサービスエリア内で鳴り響く。
鳴り響いて・・・すぐに再び携帯電話の電源が切れた (ノД`)・゜・。

ここですぐにあきらめて大阪で宿泊するところを探せばよかったのかもしれない。が、若い時分に京都で嫌な思いをしてからというもの、この地方に苦手意識を持ってしまっている俺にとってはかなり敷居の高い決断だった。後に続く行軍をこの時知っていればすぐにあきらめただろうが、この時はこの先のどこかに俺のことを温かく迎えてくれる街があると思っていた。この時すでに日没と共に気温は急速に下がり、バイクで走るのが多少辛く感じてきていた。

吹田JCTを過ぎ、予定通り中国自動車道経由で米子自動車道への道のどこかにある街を求めて走り続ける。。。

宝塚、神戸と高速道路からの街並みを見ながら進む・・・何かがおかしい・・・

社パーキングエリアだったと思う。ここで遠い記憶が蘇り、エリア内にある道路路線図を眺めて大変なことに気づく。中国地方には「中国自動車道」と「山陽自動車道」があり、山陽自動車道は割り合い都市に近いところに沿って走るが、中国自動車道は山の中を突っ切って走っているのである。

外に出て寒気なのか動揺なのかわからない震えを抑えるためにタバコを吸いながらこのままの道を継続するとこの先宿泊先を探すのは絶望的であることを煙と共に腹に飲み込む。この時点で既に21時半ぐらいだったと思う。もう先に進むしか選択肢は無くなっていた。少なくとも引き返すという勇気ある撤退ができる性格をしていれば良かったのだろうが、幸か不幸かまだ走れないと思える程寒くなく、山陽から山陰に抜ける道がただの平坦な道だと思っていた俺には夜を徹して走ることが可能に思えた。

山の中の道をひた走る。気温が進む距離を重ねる毎に低くなっていく。中国自動車道は道路沿いの灯りなどほとんどない。前後に走ってくれるような車も時折にしかいない。
皮のライダースジャケットの上に着ている漁師用の防寒カッパを冷たい風が侵食していく。長く走れば走るほど前のパーキングエリアで蓄えた体温をまるで布に水が浸透していくかのように奪っていく。

とりあえず寒いので道沿いにあるパーキングエリアには全て止まりながら先に進む。そして加西パーキングエリアで大変な情報に気づいたのである。。。

つづく。

2017年12月7日木曜日

何もしないをやってみる Part. 1

言葉を置き換えると「ぷーさん」になってみたということである。

細かいことは追々記事にする機会があるかもしれないが、とりあえず東京での派遣の仕事を辞めて、実家である山口県に引き上げてきた。
これからは無謀にもFXを主な生活の糧を得る手段としていこうと考えている。

こちらにバイクで帰ってきたのは11月21日になるので、二週間以上の間こちらに居て、ブログの更新もできないでいた。12月5日からFX取引を稼働させていて、とてもそのような余裕がなかったからである。

今は大工の従弟の作業場兼事務所に借りた机に座ってこの記事を書いている。親子二代のこの事務所に俺のPCを置ける場所がなかったので、従弟が半日かけて机を作ってくれた。


作業場に作っている事務所なので、開始当初は寒くてどうしようもなかったが、これも従弟がハロゲンヒーターを貸してくれて、今日までにずいぶん快適な環境になってきた。


しかし東京を11月20日に出て、バイクで山口県に帰ってくるまでの道のりは予想をはるかに上回る激しさではあった。

出発前にいくつか懸念事項があるにはあった。まず、携帯電話が不調で急に電源が落ちるなどの問題に見舞われていたこと、そして、バイクを走らせていると硫黄のような匂いがしていたことである。

もっともバイクの硫黄のような匂いについては一月前から発生していて、上野のバイク屋さんで整備してもらった後だったのでそれほど心配は要らないだろうと考えていた。

首都高速に乗って東名に入り、事前に調べて紙にも携帯電話にも保存しておいた道筋に沿って初日は大阪を過ぎたぐらいでビジネスホテルなどに泊まろっかなぁー、みたいなざっくりとした予定だった。
まー、ぷーさんである。予定など立てないぐらいがちょうどいい。

ずいぶん前にOB戦で静岡までバイクで行ったのだが、そこから先は未知の道。新東名自動車道なるものができていて少し驚かされたり、試験区間で110km/hで走っていい区域があるなど旅ならではの驚きを楽しみつつ、かつてシステムの導入で死ぬ思いをした名古屋を順調に通りすぎ、夕方ぐらいには伊勢湾岸自動車道などという地名を聞いたことぐらいしか記憶のない場所までついた。

このままいけば大阪を18時ぐらいに通りすぎ、神戸あたりでホテル探しができるだろう・・・「順調順調♪」と快適に冬の昼間のバイク旅を楽しんでいたのだが・・・

今、携帯電話用に保存していた道順を見てみると以下のようになっている。


事前に携帯電話に懸念があったため、手書きでも見れるようにしておいた。その紙を見ながら順路を確認しつつ、分岐の前には必ずサービスエリアに止まって確認しながら進んでいたのだが、バイク旅の怖いところはこの当たりを暗記して行かないと高速道路上で止まることができないところにある。
あまり携帯電話を見ると電源が落ちてしまうが、この時は一応確認して暗記したものと記憶している。

が、四日市JCTを超え、次は「名神高速道路(大津支線)」だ、と間違った記憶を元に先に進んでしまったのである。

亀山JCTで新名神高速道路に乗るべきところを直進してしまい、道がだんだん牛の匂いのする対向2車線になったあたりから「何かがおかしい」と思い始め、松坂牛(「まつざか」ではなく「まつさか」だという無駄な知識がここで身に付いた)で「え?もう神戸?」などという中学高校でまったく社会を勉強しなかったことが悔やまれる事態に陥り・・・

最後のパーキングエリアという多気パーキングエリアに入ってみたところ「伊勢神宮」が目の前だったのだ。

この時点で伊勢湾から大阪に向かうべきところを湾岸沿いに走って、運命の何かに吸い寄せられるかのように伊勢神宮に向かってしまったのである。時刻は確か17時頃だったと記憶している。

多気パーキングエリアでまずは携帯電話を使う危険を冒してかあちゃんに電話した。何しろ俺がバイクで旅立っていることを一番心配していると思われたからだ。

「かあちゃん、間違って伊勢神宮に来てしまった。ここらで適当に泊まるところを探すことにする。心配するな。」

携帯電話の電源はまだ生きている。とりあえず一番近い伊勢神宮に向かって走ることにした。

とは言え人生でまた来るとも思えない伊勢神宮である。ちょっと立ち寄ってみた。。。時間もそこまで取れない可能性があるので伊勢神宮という標識を頼りに駐車場まで来て見たところが「豊川茜稲荷神社」という神社だった。

伊勢神宮に来て全く違う名前の稲荷神社に参るというのは一体・・・

しかし今、改めて検索してみたところ、豊川茜稲荷神社という神社さんはWikipedia情報によると「漁師の信仰が篤い」場所らしい。やっぱり何かに引き寄せられたのだろうか。

もう暗かったので迷惑にならないように鳥居の外側から旅の無事とこれからの人生の幸が多いことを祈願してすぐに来た道を引き返す。とりあえず周りを見ながら走ったところによるとホテルらしきものは見当たらない。

念のためガソリンスタンドによってホテルの有無を確認したところやはりホテルらしきものは思い当たらないとスタンドの兄ちゃん談。

「仕方ない・・・来た道を引き返すか・・・」

ここまでがこのバイク旅の序章に過ぎないということが、この時の俺には想像もできなかったのである。

つづく