2017年12月11日月曜日

何もしないをやってみる Part. 5

Part. 1 はこちら
Part. 2 はこちら
Part. 3 はこちら
Part. 4 はこちら

トラックに煽られて恐怖心に負けてトンネルで停車し、煙草を一本吸った俺は再びバイクのエンジンをかけて走り始めた。永遠に続くのではないかと言う雪のわだちの綱渡り運転である。

ほどなくして煌々と灯りの灯るエリアについた。智頭というところでここから先は鳥取道は夜間道路規制で迂回しろということなのだ。とりあえず高速道路っぽい道が終わったことに少しほっとしながら、鳥取道を降りると急な坂道を降り始めた。同時に雪が雨に変わった。

人間の順応力は非常に高い。雪が雨に変わっただけで温かく感じるのだから不思議である。ようやく山を超えられたのかと少しほっとしながら、時折民家のある道をひた走る。

暗い道で他の車が来たら先に行かせ、追尾する安心感。最悪の状況を脱したとは言え、ここで気を緩めるわけにはいかない。雨が降っていて雪程ではないにしてもスリップの危険性は常について回るのである。

そして鳥取南という標識を超え、ようやく鳥取に入った。ここで止まっても良かったが真夜中の鳥取でインターネットカフェがあるようにも思えない。何しろスターバックスが開店しただけで大騒ぎする山陰地区である。我慢して米子まで歩を進めてから一日休むとしよう。

そう思ってようやく2車線に増えた道に入り、信号という文明の利器に大自然の脅威から逃れたことを感謝しながら停車して発進しようとしたその時

アクセルを回してもバイクが進まなくなってしまった。エンジントラブルか?と考えて路肩に止めてエンジンを一旦切り、少し待ってからエンジンを始動してみるがバッテリーが切れた症状を示し、やがて雨足の強くなる真っ暗闇でライトも力尽きた。

道中気になっていた硫黄の匂いについて、ここで理解した。つまりバッテリーの中の塩酸が蒸発する匂いだったのである。しかしその状態でここまでよく走ったものである。故障してしまったことに対する無念さよりも、よくも山中で止まらずここまで我慢して俺を運んでくれたことに感謝した。

止まったところはモービルのガソリンスタンドだったが、夜間は閉めているらしく真っ暗だ。まずは暗闇の中で周りを見渡してみると目が暗闇に慣れてきて、周囲は事務所や倉庫などが立つエリアであるように見えた。そして、2・300メートル程離れたところに明るく光るガソリンスタンドらしきものが見えた。

出光石油・9号線鳥取トラックステーションSS様である。取り急ぎ店員さんに状況を伝え、携帯電話の充電をさせてほしいと伝えた。

店員さんは割と高齢に見える人で、とても良い方だった。店に備え付けなんだと思われるiPadで付近のバイクショップを検索してくれたりと色々と気を遣っていただいた。

ここでそれまでわからないまま走っていた時間が判明した。朝の3時半である。普通の人々が起きる時間までまだしばらくあるが、まずは保険会社に電話である。バイクに積んでいる保険の証書を見るが自賠責保険しか積んでおらず、名前だけの記憶でまずは東京海上日動さんに電話してみた。

電話の窓口の人は大変いい人で、住所や電話番号で検索したもののないので調べて折り返すと親切にも言ってくれた。

おかしいなと思って契約しているバイクの代理店をネットで調べたところ、相生ニッセイ同和損保だった。。。東京海上日動さん、真夜中に本当に申し訳ありませんでした。

相生ニッセイ同和損保さんでバイクの修理工場までの引き取りをしてくれる業者さんを手配してくれて、業者さんが来るまで待たせてもらうことになった。

業者さんが来て、保険会社の保険の適用範囲などについてひとしきり話し合った後、引き取りに来た業者さんのところで修理してもらって、保険の適用範囲内で修理後搬送というので運んでもらうことができるということになった。

業者さんに硫黄の匂いの話をしたところ、レギュレータの故障でバッテリーに過負荷がかかってバッテリー液が蒸発したのだろうということだった。確かに以前もレギュレータが故障したが、前回は低回転でエンジンが止まるという現象だったのでわからなかったのである。相棒のバイクは蒸発していくバッテリー液に我慢しながら、雪の山中を山の向こう側まで送り届けてくれたのだ。

ホンダのCBR系のレギュレータは故障が比較的多い機種らしく、よくある話だと教えてもらった。ここだけの話だということだったが、名前をさらさなければ大丈夫だろう。業者さんネタの提供ありがとうございます。

後になってよくよく考えてみると、間違って伊勢神宮さんに行ったこと、行くことも戻ることもできずに鳥取まで走ったことは逆に良かったのかもしれない。

伊勢神宮に行くことなく順調に道を進んでいったと仮定すると、おそらく道路情報などを確認することなくもっと雪深い米子自動車道に突き進んでいってしまったことだろう。雪の中で遭難などという訳のわからないブログ記事になってしまうところだった可能性は大いにある。

大阪を超えたところで時間に余裕があり、ホテルを探して泊まったとしたらあの状況であれば翌日確実にバイクは始動できず、大阪からの搬送費は保険の適用範囲を超えていたのではないかと疑われる。聞いたところによると保険の適用距離は直線距離でざっくりと算出されるらしく、鳥取からの直線距離であればなんとか実家である山口県まで修理の後で運んでもらえる距離だった。

不運と偶然と無軌道な性格から、金と体力のギリギリの着地点で折り合ったのはあの時、伊勢神宮さんにある豊川茜稲荷神社さんに立ち寄ったおかげなのだと思っている。

もう少しだけつづく

2017年12月10日日曜日

何もしないをやってみる Part. 4

Part. 1 はこちら
Part. 2 はこちら
Part. 3 はこちら

ノリで書き連ねていて小説的な感じになってきているが、このシリーズは紛れもない実話、体験談である。

戻るに戻れなくなった中国道から、当初予定だった米子自動車道を雪で断念し、比較的平坦な印象の、スノータイヤ規制とは書かれていなかった鳥取道という「道に自動車と書かれていない」ことが一抹の不安を感じさせる道に進路を変えて、目に入ってくる情報には細心の注意を払いながら進んだ。

前後に車の気配がない状態がしばらく続く。かつて車で九州地方を営業して回っていた頃、宮崎から熊本に抜ける山中で道が崩落しており、文字通り山の中を切り拓いて作られていたアスファルトでもない山道で味わった不安を思い出す。

そして予感は的中するのである・・・

まず、智頭~鳥取南間は夜間交通規制という看板。民家の灯りすらない山中でやたらとはっきり自己主張する明るい看板である。う回路があるとは書かれているものの、これはひょっとして夜間は道路凍結するからではないか?という不安に襲われる。

そして進むにつれてもっと悪い情報が目に飛び込んでくる。

「スノータイヤ規制」である。
サービスエリアで米子自動車道にははっきりと表示されていたにも関わらず、鳥取道には表示してくれないものなのかっ?!

しかも進み始めて表示されていてもどうやって戻っていいかもわからないではないか。かつての宮崎~熊本間の山中移動でも直前で崩落の情報が書かれていた。一体日本の地方の道路行政はどうなっているんだ?

しかし思い悩んでみても仕方がない。多少辛い状態であっても永遠に続くことはない。雨が降ってきたが所詮雨である。スノータイヤ規制だって多分、朝方に道路が凍結するぐらいの温度になるくらいの話だろう・・・しかし道路上にところどころに置かれている温度計は一体なんのためなんだろうか・・・?

ヘルメットのシールドを叩く雨に何か「ふわり」と当たってくる物体がある。進むにつれてその柔らかく撫でてくれるかのような印象の物体が、まるで雪女さんの美しい悪魔の微笑みであるかのような雪であることに気づかされるまでそう長くはかからなかった。

何故か? だって積もってるんだもん。。。

どおりでところどころに温度計が置いてあるわけである。そしてバイクを進めていくごとに気温は2度からマイナスへと変わっていく。もう先行きに不安しか感じなくなってくる。いや、超えれば終わるはずだ。終わってくれなきゃ やだっ (ノД`)・゜・。

なんとか器用にトラックが作ったであろう雪のわだちの上を走り、これすらなくなったら手詰まりだと考えていた。暗闇の中、温度計が指す温度が少しでも上がってくれないかと思いながら前後に車すらいない道を走る。

こういう時、前後に車がいないことは自分が人間社会で守られている領域を少し外れて大自然と対峙しているというとてつもない恐怖を感じさせる。

いや、今俺が着ている漁師仕様のカッパは親父の形見である。きっと親父がついていてくれる。。。

と、ワインディングしている道路でミラーに時折光が見えるような気がした。とうとう幻視まで見えるようになったかと速度を落とすとそこには3台のトラックがスピードを上げて追い上げてきた。

親父・・・ (ノД`)・゜・。

とりあえず徐行してトラックに先行してもらいスピードが速いため追いつけないものの新たに作られた雪上のわだちをひた走る。親父のことを考えた刹那、トラックが追い上げてきた瞬間には不覚にも涙ぐんでしまった。

と思っていたら次から次へと後続車が走ってきた。なんだ、意外と使われているのね鳥取道 (*´▽`*)

しかし前後に人がいるというのは山中の行軍で非常に心強いものがある。というか逆に、雪の上を走っている時に後ろから煽られるのはとんでもない恐怖心をも同時に煽ってくる。

これ以上雪の上を走るのは無理かもしれない・・・と、そう思いながら時折現れるトンネルで恐怖心に負け、生まれて初めてトンネル内にある非常駐車帯で停車した。途端に車の気配がなくなり、トンネルの薄明りの中一人になる。

トンネルというのは中に止まると異様な雰囲気の場所である。よく心霊番組などでも取り上げられているにも理由があるのを初めて体感させられた。しかしここで心霊が出てきたところで生命の危機にさらされている俺にとって雪上でトラックに煽られる恐怖に比べればどうということはない、なんならブログのネタにしてやる かかってこいっ( ゚Д゚) などと考えながら煙草を吸った。

煙草を吸いながら周りを改めて見まわしてみる。肩の位置に人が歩くことを想定しているのか歩道のようなコンクリートがある。すぐ近くには非常口と書かれたおなじみのドアを抜けていこうとするピクトさんがいる。

寒いのは寒いが風もなく、前後の雪道から考えると天国のような温かさである。丁度バックパックの中にはホワイトガソリンで動くコンロもある。一晩をここで明かそうかとも考えたが致命的な物品の欠落に気がついた。水を持っていないのである。

高速道路はところどころパーキングエリアなどがあるので水分補給には事欠かないと考えていた俺が甘かった。サバイバルの基本である水がなければ長時間を過ごすことは難しい。しかも少し煙草を吸って落ち着くとやはり心霊現象などを想像する恐怖に耐えながら一夜を明かすのは嫌だ。携帯電話はただの冷たいガラス板と化していて助けを呼ぶこともできない。仮に電話できたとして、バイクは故障はしていないので保険会社を呼ぶわけにもいかないのだ。保険会社に電話したらそれは単なる無謀なバイク旅の馬鹿なおっさんである。状況がこれ以上悪化したら絶望するしかないが、ここまで長く連れ添ってきた相棒のバイクが生きている以上、バッテリーはビンビンダゼっ♪と涙目で強がる他ない。

大丈夫、俺には親父がついている。先に進もう。。。

つづく。

2017年12月9日土曜日

何もしないをやってみる Part. 3

Part. 1 はこちら
Part. 2 はこちら

前回までに中国自動車道という山の中の道に夜中に入ってしまったことを書いた。今は、高速道路という戻ることの許されない道をバイク行軍の最中である。

夜に入っての急速な温度降下で止まれるパーキングエリアには全て止まりながら進んでいたところ、加西パーキングエリアというところで大変な事実に気がついてしまったのだ。

まずは当初の予定の道順を見てもらいたい。


米子西を目的地にしたのは地図上で一番ホテルの価格が安そうだったからだ。米子自動車道を抜ける道である。地図は当然二次元であり、高低差などへの配慮など引っ越しの準備で忙しかった俺には毛頭なかった。

しかしである。加西パーキングエリアで、地図を見てまずある地名に気がついた。

大山って・・・あの中国地方確か唯一とか記憶しているスキー場の大山のことか?( ゚Д゚)

そしてパーキングエリアの路線図でさらに絶望的な語句が目に飛び込んでくる。
「スノータイヤ着用規制」
いやいや、11月に中国地方で雪ってどうゆうことだっ( ゚Д゚)

そもそも今回の道順は上越を通るつもりだったが、母ちゃんからの事前情報で雪が降るから止めて置けと言われて泣く泣くなんの面白みもない東名高速を選んだのだ。
上越地方で雪が降り始める時期だというのに中国地方で積雪だと・・・?

しかし規制と書かれていてはどうしようもない。チェックしているとも思えないが車ならともかくバイクでスリップは文字通り命取りである。

おとなしく岡山に順路を変えてホテルは無理にしてもインターネットカフェなどで夜を明かすか・・・と弱気になっていたところ、鳥取道という道に気がついた。

確かパーキングエリアでも直線で描かれていて、山越えを表しているように見える曲がった線で描かれている米子自動車道よりも印象的に平坦にも見えるし、距離も短く見える。何よりも地名に「山」という文字が入っていないことも好感度をアップさせている。

よし、この道を行こう。

しかしパーキングエリアで毎回止まるごとに人の数は減り、中で寝ているであろうトラックばかりとなっている。寒さも厳しくなる中パーキングエリアで泊まろうかと何度も思い悩みながら最後のパーキングエリアである揖保川サービスエリアで15分程体を温めて佐用JCTから鳥取道に入った、瞬間に今までよりも一層暗く、車も通っていない道になった。

そして戻ることのできない行軍はさらに絶望的な状況へと展開していくのである。

つづく。

2017年12月8日金曜日

何もしないをやってみる Part. 2

前回の記事(Part.1)はこちら

前回の記事では間違って伊勢神宮に行って、引き返すところまでを書いた。
目下の目標は何とか今日泊まれるところをできれば安い額で探すことである。

とは言えマツサカ牛を生み出す土地柄付近である。バイクで走りながら見る限りそのような宿泊が可能な気の利いた施設は見当たらない。
魔女の宅急便のように牛のごはんの上で寝るというのはファンタジーの世界である。一生に一度やってみたくは、ある。

次の分岐点は間違って通り越した亀山JCTから草津方面か、名古屋方面に戻る道である。時間的に名古屋に戻って宿を探した方が土地勘もあるので良いかもしれないと思ったが、性格的に来た道を引き返すのはプライドが許さない。

伊勢神宮は神様に呼ばれてお伺いしたのだっ( ゚Д゚)

草津方面に周りの街並みに注意しながら進む・・・ いや、山越えのルートである。町などほとんど見当たらない道がしばらく続く。

草津のサービスエリアに着いたのは確か8時前ぐらいだっただろうか。もう宿探しはタイムリミットに近いはずだ。多少高くても泊まった方が良いとしか思えない。
考えれば草津は温泉だ。携帯なんかで探せばすぐに見つかるかもしれない。

ここで携帯電話が生きているのは幸いである。恐る恐るエアプレーンモード(電池節約のためにネットワーク回線や電話回線を切ると電池の持ちが大きく変わる。かつて山の中で滞在して一晩で電池切れを起こしてから経験的に行っていることである。)を解除して付近の地図を探すことにした。

解除して・・・すぐに携帯電話の電源が落ちた。

この時もっていた携帯電話は一旦電源が切れると充電しないと起動することができなくなるという症状を持っていた。すぐにサービスエリア内で乾電池で充電できる充電器を購入してみた。
接続して起動・・・・だめだ・・・電圧が弱すぎるらしい。一旦充電器をつなげたまま走るしかない。時間を消費すればするだけホテルを探せる確率が低くなる。急がねばならない。

茨木というところのサービスエリアで止まって携帯を起動・・・ 頼むっ( ゚Д゚)

起動したっ(*´▽`*)

最近知り合いになった人からテキストメッセージが来た。テキストメッセージが送られてくるのはその人しかいないからわかった。

テキストメッセージの着信がサービスエリア内で鳴り響く。
鳴り響いて・・・すぐに再び携帯電話の電源が切れた (ノД`)・゜・。

ここですぐにあきらめて大阪で宿泊するところを探せばよかったのかもしれない。が、若い時分に京都で嫌な思いをしてからというもの、この地方に苦手意識を持ってしまっている俺にとってはかなり敷居の高い決断だった。後に続く行軍をこの時知っていればすぐにあきらめただろうが、この時はこの先のどこかに俺のことを温かく迎えてくれる街があると思っていた。この時すでに日没と共に気温は急速に下がり、バイクで走るのが多少辛く感じてきていた。

吹田JCTを過ぎ、予定通り中国自動車道経由で米子自動車道への道のどこかにある街を求めて走り続ける。。。

宝塚、神戸と高速道路からの街並みを見ながら進む・・・何かがおかしい・・・

社パーキングエリアだったと思う。ここで遠い記憶が蘇り、エリア内にある道路路線図を眺めて大変なことに気づく。中国地方には「中国自動車道」と「山陽自動車道」があり、山陽自動車道は割り合い都市に近いところに沿って走るが、中国自動車道は山の中を突っ切って走っているのである。

外に出て寒気なのか動揺なのかわからない震えを抑えるためにタバコを吸いながらこのままの道を継続するとこの先宿泊先を探すのは絶望的であることを煙と共に腹に飲み込む。この時点で既に21時半ぐらいだったと思う。もう先に進むしか選択肢は無くなっていた。少なくとも引き返すという勇気ある撤退ができる性格をしていれば良かったのだろうが、幸か不幸かまだ走れないと思える程寒くなく、山陽から山陰に抜ける道がただの平坦な道だと思っていた俺には夜を徹して走ることが可能に思えた。

山の中の道をひた走る。気温が進む距離を重ねる毎に低くなっていく。中国自動車道は道路沿いの灯りなどほとんどない。前後に走ってくれるような車も時折にしかいない。
皮のライダースジャケットの上に着ている漁師用の防寒カッパを冷たい風が侵食していく。長く走れば走るほど前のパーキングエリアで蓄えた体温をまるで布に水が浸透していくかのように奪っていく。

とりあえず寒いので道沿いにあるパーキングエリアには全て止まりながら先に進む。そして加西パーキングエリアで大変な情報に気づいたのである。。。

つづく。

2017年12月7日木曜日

何もしないをやってみる Part. 1

言葉を置き換えると「ぷーさん」になってみたということである。

細かいことは追々記事にする機会があるかもしれないが、とりあえず東京での派遣の仕事を辞めて、実家である山口県に引き上げてきた。
これからは無謀にもFXを主な生活の糧を得る手段としていこうと考えている。

こちらにバイクで帰ってきたのは11月21日になるので、二週間以上の間こちらに居て、ブログの更新もできないでいた。12月5日からFX取引を稼働させていて、とてもそのような余裕がなかったからである。

今は大工の従弟の作業場兼事務所に借りた机に座ってこの記事を書いている。親子二代のこの事務所に俺のPCを置ける場所がなかったので、従弟が半日かけて机を作ってくれた。


作業場に作っている事務所なので、開始当初は寒くてどうしようもなかったが、これも従弟がハロゲンヒーターを貸してくれて、今日までにずいぶん快適な環境になってきた。


しかし東京を11月20日に出て、バイクで山口県に帰ってくるまでの道のりは予想をはるかに上回る激しさではあった。

出発前にいくつか懸念事項があるにはあった。まず、携帯電話が不調で急に電源が落ちるなどの問題に見舞われていたこと、そして、バイクを走らせていると硫黄のような匂いがしていたことである。

もっともバイクの硫黄のような匂いについては一月前から発生していて、上野のバイク屋さんで整備してもらった後だったのでそれほど心配は要らないだろうと考えていた。

首都高速に乗って東名に入り、事前に調べて紙にも携帯電話にも保存しておいた道筋に沿って初日は大阪を過ぎたぐらいでビジネスホテルなどに泊まろっかなぁー、みたいなざっくりとした予定だった。
まー、ぷーさんである。予定など立てないぐらいがちょうどいい。

ずいぶん前にOB戦で静岡までバイクで行ったのだが、そこから先は未知の道。新東名自動車道なるものができていて少し驚かされたり、試験区間で110km/hで走っていい区域があるなど旅ならではの驚きを楽しみつつ、かつてシステムの導入で死ぬ思いをした名古屋を順調に通りすぎ、夕方ぐらいには伊勢湾岸自動車道などという地名を聞いたことぐらいしか記憶のない場所までついた。

このままいけば大阪を18時ぐらいに通りすぎ、神戸あたりでホテル探しができるだろう・・・「順調順調♪」と快適に冬の昼間のバイク旅を楽しんでいたのだが・・・

今、携帯電話用に保存していた道順を見てみると以下のようになっている。


事前に携帯電話に懸念があったため、手書きでも見れるようにしておいた。その紙を見ながら順路を確認しつつ、分岐の前には必ずサービスエリアに止まって確認しながら進んでいたのだが、バイク旅の怖いところはこの当たりを暗記して行かないと高速道路上で止まることができないところにある。
あまり携帯電話を見ると電源が落ちてしまうが、この時は一応確認して暗記したものと記憶している。

が、四日市JCTを超え、次は「名神高速道路(大津支線)」だ、と間違った記憶を元に先に進んでしまったのである。

亀山JCTで新名神高速道路に乗るべきところを直進してしまい、道がだんだん牛の匂いのする対向2車線になったあたりから「何かがおかしい」と思い始め、松坂牛(「まつざか」ではなく「まつさか」だという無駄な知識がここで身に付いた)で「え?もう神戸?」などという中学高校でまったく社会を勉強しなかったことが悔やまれる事態に陥り・・・

最後のパーキングエリアという多気パーキングエリアに入ってみたところ「伊勢神宮」が目の前だったのだ。

この時点で伊勢湾から大阪に向かうべきところを湾岸沿いに走って、運命の何かに吸い寄せられるかのように伊勢神宮に向かってしまったのである。時刻は確か17時頃だったと記憶している。

多気パーキングエリアでまずは携帯電話を使う危険を冒してかあちゃんに電話した。何しろ俺がバイクで旅立っていることを一番心配していると思われたからだ。

「かあちゃん、間違って伊勢神宮に来てしまった。ここらで適当に泊まるところを探すことにする。心配するな。」

携帯電話の電源はまだ生きている。とりあえず一番近い伊勢神宮に向かって走ることにした。

とは言え人生でまた来るとも思えない伊勢神宮である。ちょっと立ち寄ってみた。。。時間もそこまで取れない可能性があるので伊勢神宮という標識を頼りに駐車場まで来て見たところが「豊川茜稲荷神社」という神社だった。

伊勢神宮に来て全く違う名前の稲荷神社に参るというのは一体・・・

しかし今、改めて検索してみたところ、豊川茜稲荷神社という神社さんはWikipedia情報によると「漁師の信仰が篤い」場所らしい。やっぱり何かに引き寄せられたのだろうか。

もう暗かったので迷惑にならないように鳥居の外側から旅の無事とこれからの人生の幸が多いことを祈願してすぐに来た道を引き返す。とりあえず周りを見ながら走ったところによるとホテルらしきものは見当たらない。

念のためガソリンスタンドによってホテルの有無を確認したところやはりホテルらしきものは思い当たらないとスタンドの兄ちゃん談。

「仕方ない・・・来た道を引き返すか・・・」

ここまでがこのバイク旅の序章に過ぎないということが、この時の俺には想像もできなかったのである。

つづく

2017年8月21日月曜日

What is happening after reaching 100 subscribers on our Youtube channel

Well, cucumbers happened...
(日本語のページはこちら

I wrote in the other article that my mother and I started uploading recipe videos every week since 2015.

And, after reaching 100 subscribers on the channel on July 10th 2017, we are experiencing rather steep increase in the number of subscribers and views, so I thought this kind of information may be useful for people who are also uploading videos on Youtube and who have not yet reached 100 subscribers.

- Objective
To try to explain what happens when Youtube subscribers reach 100.

- Precondition
1. Category: How to and Style (recipe videos)
2. Frequency: once a week: 1100 JST on every Friday
3. Duration: Since September 2015, 117 uploads as of August 2017

- Result: Conjecture
Exposure in related videos increases.
As a result
1. The video uploaded on July 21st received 54,238 views as of August 13th 2017.
2. The channel subscribers increased to 435 as of August 13th 2017.
3. Last 48-hour channel views went up to more than 10,000 from about 100, and decreased to 4,000 as of August 13th 2017 (We think it is because it was the season for cucumbers).

- This article starts from here
I mentioned what my mother and I have been doing in "Days at home 1", my mother became all by herself at our house in a small island, where she doesn't have any relative when my father passed away in 2015.
I live in Tokyo, where 500 km away from the island, and I tried to figure out the way to talk with her periodically. But as you all probably know, even the closest relatives do not have so much to talk in common and sometimes it could be painful if you don't have something to talk about.
So I convinced her to buy PC parts and I assembled one, and we started to upload videos once a week since then.
(By the way, my brother calls her up every morning and evening, and I am impressed by that they could continue doing that even they have nothing to talk about with that frequency.)

The article I made a link above mentioned our channel because it was the 100th video, but it's about 2 years as of August 2017 since we started to upload videos periodically.
Since then, we struggled to come up with the ideas and to edit videos in several ways, and we came up with the aim of our channel to be:
1. to preserve recipes that are unique around our hometown.
2. to introduce unique recipes in Japan to abroad.

My mother's purpose I heard from her was:
To Japanese audience, she wants to help mothers who work and raise their children just like when she used to be a nurse and our mother of my older brother and me.
To audience outside of Japan, she wants to give some sort of ideas to ease hunger all over the world with unique Japanese recipes, that let Japanese people survive over so many years with scarce resources.

So, she keeps her studies and researches with the enthusiasm above, I guess. By the way, I really appreciate Youtube which gave us the opportunity to introduce these recipes.

Anyways, let us go back to the topic: so what actually happened when we reached 100 subscribers? The result could be graphically shown in a diagram below: The views of the above video increased drastically.


But it is weird that only the video uploaded on July 21st was skyrocketted although videos on July 14th and 28th have the same topic "cucumbers preservation" (we chose cucumbers around this period simply because her field generates so many cucumbers in this time of the year).

The diagram below shows the traffic source of our channel, and as opposed to my expectation, the large portion of the source comes from "related videos", not "Youtube search".


So, we could probably conclude that the actual change right after reaching 100 subscribers was the increase in the exposure to related videos on the right of other videos.

Then, why did only the video on July 21st increase so radically even though the others around the same period had the same topic? The graph below shows the number of views on other videos (excluding the 21st one), we could see the slight increase in views on the video that we uploaded in the last year since the end of June, and the traffic started to come largely from related videos since then. So we could guess that the exposure to the related videos actually started around that time period.
Also, the views almost doubled after July 10th, suggesting the exposure to related videos was strengthened after hitting 100 subscribers.

Therefore, we could also guess that the cucumbers videos probably exposed on the last year's one, and that in turn increased the views on July 21st one.

But, there is still one question left unanswered: why did the only one video experience the rapid increase even though all the other videos in July also related to cucumbers?

When we closely look into the names and the released dates of the videos, we may be able to guess what happened (I tried to translate exactly what Japanese names suggest in the below examples).

2016/08/26 きゅうりの甘酢醤油漬け (Cucumber pickled with sweet vinegar and soy sauce)
2017/07/07 簡単!きゅうりの焼酎漬け (Easy! Cucumber pickled with shochu)
2017/07/14 夏野菜(きゅうりなど)の甘口寿司酢漬け (Summer vegetables including cucumbers pickled with sweet Sushi-vinegar)
2017/07/21 長期保存!キュウリの醤油漬け (Lasts so long! Cucumber pickled with soy sauce)
2017/07/28 きゅうりのカラシ漬け (Cucumber pickled with mustard)

The video on July 7th probably didn't receive so many views just because the channel had not reached 100 subscribers.
On July 14th, I intentionally placed the word "cucumber" near the top (left) but it stated "summer vegetables" so people who wanted to use cucumbers probably hesitated to click on the video.
And then, on July 21st, I was wondering "Last so long"  (literally meaning "long preservation") may be too catchy, but I named it that way anyways:

The July 21st one was exposed nearly on the top on the last year's one (probably because it was the most recent upload).

People who watched the last year's one also watched the July 21st one with high probability.

As a result, this video experienced the steep increase in views that was abnormal enough to catch Youtube's algorism to set it to highly related to other channels' videos.

The July 21st one was exposed on nearly the top of related videos in the videos of other channels, and in turn, it gained more views.

So my guess is like this. When we reached 100 subscribers and Youtube's algorism pushed our videos to slightly higher position on related videos, and we were lucky to name the video that was catchy enough to get users to click on it, and the rapid increase in views furthermore made the relations with other cucumber or pickles videos stronger.

We were probably also lucky in that the word "cucumber" was perhaps the high volume query in this period of the year because we normally have a bumper crop of cucumbers in July and August.

From the assumptions above, we may be able to conclude that things we may want to work on before getting 100 subscribers on Youtube would be:
1. To make videos that are intended to be exposed on "related videos" of other similar videos.
2. To make names and thumbnails that would be attractive to the viewers of other related videos.

As so many other people suggest, the result we got this time was also from that 1. we kept uploading videos in the same topic and 2. we kept the frequency (once a week) for so long. I think these are the essential part of the increase in views and subscribers.

I also think that the number in views would decrease after a bit while and all we got from this increase was a little bit of money. But we think it is worthwhile to keep trying.

You wonder why?
It was just cucumbers that happened. Thank you for reading this far!

2017年8月14日月曜日

Youtubeチャンネル登録者数が100人超えて起きていること

きゅうりである。。。

以前の投稿で、うちの母親と二人で2015年から毎週1回、料理の動画を投稿していることは書いた通りである。

で、7月10日に登録者さんが100名を超えて以来、非常に閲覧数や登録者さんの変化が激しくなったので同じようにYoutubeに投稿している人で登録者さんが100名を超えていない人の役に立つのではないかと投稿してみる。

<内容>
Youtubeチャンネルで登録者数が100名を超えると何が起きるか?

<条件>
・カテゴリ:HowToとStyle (料理レシピ動画)
・動画投稿頻度:週1回:毎週金曜日日本時間11:00
・期間・動画本数:2015年9月頃より、動画本数現在117本

<結果:推測>
・関連動画への露出が多くなる。
・関連動画への露出が増えた2017年7月21日投稿の1つの動画の閲覧数が2017年8月13日までの間に54,238回となっている。
・2017年7月10から8月13日までの間で登録者は435名と倍増以上となっている。
・過去48時間のYoutube動画閲覧数が一日100回前後(料理の材料による季節性を除く)から1万回前後まで増加し、8月13日時点で4千回前後まで落ち着いてきている(きゅうりによる季節要因と考えている)。


<記事ここから>
以前記事にした「実家帰省中Ⅰ」に少しだけ触れているのだが、親父が亡くなった時に母は身寄りのいない島に一人暮らしすることになったため、定期的に連絡しても話すネタもその内尽きるだろうということで、母ちゃんにPCの部品代を出させて組み立てし、週に一回、遠隔操作をしながら動画をアップロードすることにした。独居老人の一人暮らしである。どうせ暇してるわけだからこのぐらいやった方が良いだろうということで始めたわけであるw
(話は逸れてしまうが兄貴の方は毎日朝晩電話をしているそうだ。毎日それを続けるのはそれですごいとは思うんだが、よくネタが尽きないものである。)

上の記事は記念すべき100本目ということでブログでも紹介したのだが、始めたのが確か2015年8月ぐらいで、定期的にアップできるようになったのが9月ぐらいだったと思うのでそろそろ2年になる。
以降二人で試行錯誤しながら動画を考えたり、母が撮った動画を遠隔で編集したりしてきて、現在のところは次のようなテーマで動画を作っている。
・山口県下関市の漁師町で作られている郷土料理などの作成方法保存
・日本のユニークな食材の調理方法や調味料などの作成方法紹介

うちのかあちゃん的には、
日本の人向けには: 
母が看護婦をしていた頃のような、働きながら子育てするお母さんのような忙しい人たちの役に立ちたい
海外の人向けには:
何度も飢饉や天災を乗り越えて受け継がれてきた日本の料理で、少しでも餓えをしのぐような料理のアイディアを提供していきたい

こんな思いで日々レシピの研究と調査にいそしんでいるようだ。私事だが父が亡くなって抜け殻になっていた母に、発信する機会を与えてくれたYoutubeというインフラには感謝しても感謝しきれない。

さて、実際に何が起きたか?というところなのだが、次のグラフのように上に貼ったリンクの動画の再生数が一気に伸びた。

不思議なのは、7月14日に上げた動画も、7月28日に上げた動画も「きゅうり」でつながっているはず(この時期母の畑にはきゅうりが山ほどなるからである)なのだが、何故か7月21日に上げた動画だけが急激な伸びを示していることだ。

実際のトラフィックソースを見てみると、これまで想定していたようなYoutube検索ではなく、関連動画からの流入が圧倒的に多いことがわかる。



最近になって「きゅうり 漬物」の検索結果の上位に上がってきたものの、登録者数が100人を超えてからの変化として一番に上げられるのは「関連動画」欄の上位に表示されたことと言える。

では、何故7月21日にアップロードした動画だけがここまでの閲覧数を得られるようになったのか?7月21日の動画を除いたグラフを見てみると、実は閲覧数の上昇は前年にアップロードしていた動画が先行していたことがわかる。
ほんの少しの上昇(とは言ってもうちのチャンネルから考えるとかなりの上昇幅)なのだが、この時点から関連動画からの閲覧が増加していて、おそらくかなり上位に表示されていたのだろうと想像できる。


つまり、ある程度流入していた前年の動画の関連動画に表示され、かなりの数の流入があったことが7月21日の動画の露出を増やしたのだろうと思われる。

しかし7月にアップロードした動画はほぼ全て「きゅうり」がキーワードになっていたのにも関わらず、何故1本の動画のみが急激に伸びたのだろうか。

改めて動画の名称を日付と照らし合わせて見てみると、完全ではないにしても何が起きたのかが透けて見えてくる。

2016/08/26 きゅうりの甘酢醤油漬け
2017/07/07 簡単!きゅうりの焼酎漬け
2017/07/14 夏野菜(きゅうりなど)の甘口寿司酢漬け
2017/07/21 長期保存!キュウリの醤油漬け
2017/07/28 きゅうりのカラシ漬け

7月7日の動画は、おそらく登録者さんが100人に到達していなかったので閲覧がそれほど伸びなかったのではないかと想像する。
続く7月14日の動画は、意図的に「きゅうり」というキーワードを先頭近くに持ってきたものの、名前的に関連動画欄を見た人の触手が伸びなかったのではないか?
そして7月21日、ちょっとキャッチーすぎるか?と疑問に思いながらも「長期保存!」と言うキーワードを入れたところ、

前年の動画を見た人の関連動画に7月21日の動画がかなり上位に表示された(アップロード直後だったからだと予想)

前年の動画を見た人が高い確率でこの動画を再生した

結果このチャンネルの普段の閲覧数からは考えられないほどの急激な「伸び率」を示した形で閲覧回数が伸びた

前年の動画以上の上位の位置に7月21日の動画が関連動画として表示され、結果さらに動画閲覧数が増えた

つまり登録者さんが増えて、関連動画の上位に表示されるアルゴリズムが発動した直後の状態でクリックされやすい「名前」の動画をアップロードしたことでさらに関連性が高まって閲覧数が相乗的に増えたことが今回の急激な変化をもたらしたのではないかと想像できる。

今回、「きゅうり」というかなりわかりやすいキーワードと時期(きゅうりは植えると7月8月に一家庭ではさばききれない量が収穫できる)が重なって、非常に示唆に富んだ結果になったのは幸運としか言えない。

以上の結果から、登録者さんの数が100人を超えていない状態から気をつけるべきことは、
・関連動画の上位に表示されることを意識した動画の作成
・表示された場合に選択されやすい名称またはサムネイルの作成
以上を意識して動画そのものだけでなく名前やサムネイル、その他の設定(お勧めチャンネルなど)の設定を行うことだと言える。

当たり前の話だが、行き当たりばったりに閲覧されやすい「だろう」という動画をランダムに上げるのではなく、一つのテーマで動画をアップロードし続けることと、定期的にアップロードしていたからこそ今回の結果なのだと思う。

そして、今回の閲覧数増加で何かが変わるかと言うとお小遣い程度の額の広告料が入ったことぐらいで、実際は今後しばらくまた閲覧数が少ない状態に戻って推移するだろう。

何故って・・・?
だって所詮「きゅうり」だもん (*´▽`*)