今回から新しい企画として、Javaの学習を行っていきたい。
とは言っても、俺自身がJavaについて色々書けるほどでもないし、ブログの企画としては成り立たないのではないか?という疑問を常に感じており、日々行っていることを基本的なブログのネタにしている俺としては、一時的にブログにするのは無理ではないかと思っていたのだが・・・
以前からプログラムゲームのようなものがあるということは知っていて、これならブログのネタになるのではないかと思って今日は登録からある程度内容を理解するために時間を割いてみた。
コードガールコレクションはこちら
ゲームの感触を得るために今回は以下の動画レッスンをとりあえず受けてみた。
動画レッスン入口はこちら
#1 Javaとは?
#2 Javaでプログラムを書いてみよう
#3 コメントでプログラムを見やすく!
#4 HTMLを表示してみよう
まず、結論から言おう。このサイトを作った経営者は天才である。どういうところで天才と思うか?というと、
1.このサイトは無料である
2.ゲームで書いたソースコードがそのまま企業からオファーを受けるネタとして提供されている。
3.萌え要素がふんだんに取り込まれており、プログラマを志す女の子には対応してないが、馬鹿な男なら8割方はまってサルのように学習を進めてしまう。
以上のような点からである。
まずは初回登録から。
俺の青色申告の屋号は「B.K. BizTech」なのだが、ここでは「K. Biz」にしてみた。「B.」と「Tech」の部分は俺が勝手に友達の立ち上げた会社に自分の名前を付けた、大元の友達の会社名であり、「B.」の奴は3歳からマイコンのプログラムを書き始めたいわばプログラミングの達人みたいな奴なので、奴の名誉のためにも俺のプログラミング学習で使うニックネームに彼の名前と「Technology」の部分は省く必要を感じたからだ。
生まれ年の部分はとりあえず後で入力した。まあ40代のおっちゃんである。で、開発経験もプログラミング経験もないのは正直に書いた上で、「良い求人があれば転職を考えたい」を選択してみた。
いや、オファーがあるかはわからないが、とりあえず年齢条件なんかでどんな結果になるかに興味があったからだ。
ついでに「提出コードを企業に匿名開示してオファーを受ける」にチェックを入れてみた。この点がこの会社を作った経営者が天才だと思う1点目である。
後述するがこのサイトは学習ツールとしてもゲームとしてもかなり作りこまれている。かなりの資金を投入しているはずなのだが、無料でプレイできるからくりが、この「コードを提出してオファーを受ける」部分に集約されているからだ。
まー御託は置いておいて先に進もう。
チュートリアルを進めると、まずはなんかのパフォーマンス上昇をしてくれる女の子のカードを選択せよ、と言われる。しかしだ、ゲームの序盤でいきなり言われてもどのパフォーマンスが良いのか一切わからない。ここは見た目が好みの女の子を選ぶしかあるまい。
とりあえずつばめちゃんを選んでみた。
そしてチュートリアルを進めると、要はステージを選択して問題を解け、ということらしい。
絵面もなんだか萌え要素たっぷりである。俺のブログでは今までおっさんの裸の画像ばかりが踊っていたわけなので、これはとても画期的だ。肖像権の問題とかあるかもしれないが、その際はすぐに取り下げるので運営者さん、問題があっても許してね。
とりあえず問題を何問か解いてみて、ダイヤやらコインを少しばかりもらってみた。
で、もらえるもんだから「ガチャ」と呼ばれるものを早速使ってみた。
まずはダイヤ10個を使って「世界の美女ガチャ」を回してみる。
ふむ・・・楊貴妃か・・・ いいのか?これは?あんまりいいイメージないのだが・・・
まあいい・・・
次にコイン500個を使って「プログラム言語擬人化」を回してみる。
「C++ちゃん」だ。簡素な装備に大剣がとても似合っている。カードゲームは普段からやっているので、どうやら「R」⇒「SR」⇒「SSR」の順に強くなっていくみたいである。
そしてここからが本当にすごいところだと思うんだが、チュートリアルでは教えてくれない、動画学習というところがあるのである。下の画像の赤丸の部分である。探索タブから移動できる。
実際の画像が下になる。
この動画を説明してくれている声優のおねいさんの声がとてもいい上に、
「えいっ(; ・`д・´)」 とか、
「ががーんっ(;´Д`)」 とか言ってくれるのである。
どのくらいいい声してるかというと、ガチで全裸になって正座で聞きたくなる衝動を覚えるレベルである。いや、マヂで。
そして、1章?の「コメントの書き方」と「コメントアウト」の項目の後に進むと、3章目でいきなり「HTMLを表示してみよう」になった。
ここで敢えてこの点について強調したのは、単なる予想に過ぎないがこのゲームの出題や学習動画がかなり実践的な構成になっているように思われるという点である。
普通のテキストを読み進めると、大体始めの方は文法に多くが割かれているものだが、いきなりHTMLに出力する方法について言及しているということは、その先にあるものがJavaを実際に使って「何か本当に役に立つ」方法を教えてくれようとしているように予想されるのだ。
上の点についてはこれから進めていったらわかるものと思う。また、ブログのネタとして成り立つかどうか、何を書いていくかについては進めていきながら考えたいと思う。
まずはこの記事で言いたかったことは、このサイトはかなり使えるっ ( ゚Д゚) という点である。それもかなり初心者でも学習効果が高いんではないかと思われる。かなりお勧めである。
2017年5月20日土曜日
2017年5月19日金曜日
トレーニング日誌 2017/5/17~ 雑感:お薬手帳なる謎のシステム
一連の記事で行っている実験のまとめはこちらのページ、生活実験:トレーニングを参照ください。
ざっくりまとめると忙しい中で一日30分と週1回のウェイトトレーニング、食事制限で体脂肪を落とせるのか?という実験をやっています。
2017/5/17
体重:70.1kg
体脂肪率:17.0%
基礎代謝量:1609kcal
基礎代謝量:1609kcal
※用事があってかなり遅くなってからの測定とトレーニングになった。いつもは休みの前の日に酒を飲むのだが、なんとなく急な用事が入りそうだったので前倒ししておいたのだが、最近予感は良く当たる。
サーモンの刺身とステーキを食いたいだけ食って、翌日測ってもほとんど体重は変わらない。
医者をしている兄貴曰く、カロリー計算など役に立たないというのは酒みたいな栄養の無いものに関しては当たっているのかもしれない。
ここでは割愛するが、カロリーの理論だけ聞くと確かに眉唾物であるというのはなんとなく理解できるのだが、そこにとどまっているのが兄貴よ、お前が凡人たる所以である。
サーモンの刺身とステーキを食いたいだけ食って、翌日測ってもほとんど体重は変わらない。
医者をしている兄貴曰く、カロリー計算など役に立たないというのは酒みたいな栄養の無いものに関しては当たっているのかもしれない。
ここでは割愛するが、カロリーの理論だけ聞くと確かに眉唾物であるというのはなんとなく理解できるのだが、そこにとどまっているのが兄貴よ、お前が凡人たる所以である。
体重:70.3kg
体脂肪率:17.3%
基礎代謝量:1608kcal
基礎代謝量:1608kcal
※今日はしっかりと睡眠がとれなかったのと、派遣の仕事先で一人が長期休暇を取った故の連日の勤務がたたったのかいつもより疲れてたのでトレーニングはお休みにしてみた。こんな日があっても良いと思う。
2017/5/19
体重:70.3kg
体脂肪率:17.3%
基礎代謝量:1608kcal
基礎代謝量:1608kcal
ベンチプレス (80kg)x10 70kg)x10x2 (60kg)x10x2 (50kg)x10x3 (40kg)x10x3
チンニング(61kg)x10 (54kg)x10x2 (47kg)x10x2 (40kg)x10x3
ダンベルショルダープレス(18kg)x10x3 (16kg)x10x3
サイドレイズ(10kg)x10x5
ワンハンドローイング(24kg)x10x2 (22kg)x10x2 (20kg)x10x3
ダンベルカール(14kg)x10 (12kg)x10 (10kg)x10 (8kg)x10
チンニング(61kg)x10 (54kg)x10x2 (47kg)x10x2 (40kg)x10x3
ダンベルショルダープレス(18kg)x10x3 (16kg)x10x3
ワンハンドローイング(24kg)x10x2 (22kg)x10x2 (20kg)x10x3
昨日は知り合いが家にこれるかもしれないということで、変態でない食事が必要ではないかと思えたため、普通にうまいものが作れそうな食材を買ってきた。そしたら急用ができてこれなくなってしまったため、ポテトサラダと豚肉としらたきの醤油煮を自分で消費する必要が出てしまい、たまには良いかとかなり多めの食事を摂ってみた。
しかしだ、日中ほとんど食事を摂ってないとは言え4,000kcal以上飲み食いしているのにも関わらず体重は200g増に止まっている。やはり酒のカロリーだけはあてにならないと思われる。
まあ、トレーニングの効果や普段の生活態度が変わるので、週2回以上飲もうとはもう思わないのだが・・・
それと、今日は急に思い立って血圧の薬を処方してくれているお医者さんに行った。飲んだり飲まなかったりで2か月ぐらい遅れての通院である。先生ごめん。
で、ざっくりと行けなかった間兄貴に薬を処方してもらったことや、その薬を飲まなかったこと、今減量していて摂取塩分量が6g前後になっていることを説明した。
それと、兄貴にはもう少し軽めの薬を処方してもらった方が良いようなことを言われていることも説明。先生理解してくれて、減塩しているのであれば・・・と少し軽めの薬を処方してくれた。
先生に何故減量しているのかと聞かれたので、「ウニ採りでケツが浮くからだ」と説明すると、こちらも理解を示してくれて、「どこでウニ採りをするのか?」と興味まで示してくれた。
言われた薬も飲まず、勝手に減量を始めた上に他の医者(兄貴)に薬を処方してもらうなどまるで言うことを聞かない患者に理解を示してくれるとか、あんたいい医者だ。どんなに遠くに住むことになってもあんたのところに行くことにするぜっ( ゚Д゚)
そんなちょっとほっこりした気分でタバコを一服してから処方箋薬局に行くと、題名の謎のシステムについていらつかされたので今日の雑感である。
いつものことなのでそれほどむかつきはしないが、「お薬手帳はありますか?」、「おつくりしましょうか?」などと聞かれたので、いつもの通り「ないし、作るつもりもない」と説明して番号札をもらって待っていた。
今日は待ち時間がなかったので、すぐに薬を処方されたのだが、ここから処方箋薬局の意味不明なシステムについてイラつかされた。
まず、あらかじめ言っておきたいのだが、別に薬局で働いている方々に悪意があるわけではない。特にこういうところで務めておいでの女性はきれいな方も多いし、できればお友達になりたいぐらいである。
しかしだ、まず「前回12月に処方して、二か月分程飲まれてなかったようですが、他の薬局で処方されましたか?」と聞かれた。
「いや、何故にそれを説明しなければならないのか?」とは言わなかったが、全てを説明するには俺の時間がもったいなすぎる。ウソも方便だ。簡潔に「無い」と答えた。実際兄貴に処方された薬は一錠しか飲んでいないので96%くらいは本当だ。
次に「今回から弱めの薬になったんですね。体調が良くなったのですか?」と聞かれる。「いや、あんたに説明する義理など砂浜の砂粒ほどもないのだが?」とは言えず、「はい」とだけ答える。
手元の書類を見ると「手帳NG」とか書いてある札がはっつけてある。まあ引継ぎを簡略化するのはわかるが、それを客が見えるところに露出していて良いもんか?
まー、薬局で働くお姉さん方は会社?に言われた手順で作業を行っているだけだろうからこんな無愛想な奴の相手をさせられるのも可哀想だとは思うのだが、「こいつは数十円のお薬手帳ですらNGを出してくる偏屈ものだ」とでも言わんばかりの札を一応金を払っている客に見せつけるとかちょっと殿さま商売すぎやしないか?
しかもだ、一応医者が説明の上で処方してくれている、さらにこちらの事情を理解してくれた上で双方納得の上で出してくれているものに対して、その事情について聞いて、その情報をどうするつもりだ?
仮に俺が、「いやー俺は納得いかんのだが、医者がこのように処方したからだ」と言ったら、薬局にそれを覆してより強い薬を出すことはまかりならんように思うのだが、医者に失礼だとは思わんのか?
だいたいお薬手帳なるものについて、毎回聞いてくるのは一向にかまわんのだが、未だそれを所持することについて納得のいく説明を受けたことが全くないわけだ。たかだか数十円だったとしても売り上げが上がることに対して、「いやー、新たに国が決めたシステムだから(国のシステムかどうかはしらんし、今回に限っては自分で調べる気にもならん)」と説明しないのはいかがなものか?
その手帳を持つことによって、例えば薬が多すぎてよくわからん人がいるのも理解はできるのだが、俺に限って言えば今のところ1種類しか処方されていないわけだし、一応自分が飲む薬に関してはなんのために必要かを把握した上で納得して飲んでいるわけだし、必要であれば医者に説明して処方してもらうことだってできるつもりである。
さらに、なんの薬を飲んでいるかを明確にすることで何らかの治療の際に役に立つという理由があるのかもしれんが、意識があればそれを説明することぐらいできるし、そんな緊急の際に手帳を都合よく持っているとは俺には思えない。
仮に昏睡していたとして説明できないとなった場合、上に書いた通り都合よく持っているとも思えないし、そんな昏睡しているような緊急事態で処方されている薬がどうとか悠長なことやっているとも思えない。確かに飲んでいる薬の情報があったら非常に有益であろうとは思うが、そのために行うんだったら個人番号に将来的に紐づけるなどして個人が特定され次第処方されている薬がわかるようなシステムにするなどの説明が添えられていれば協力する気にもなるが、そのような説明もない。
まあ、個人番号に紐づけるなどということはおそらく数十年経っても実現などしないだろうが・・・
どこかで決まったことなんだろうし、細かく説明していたら時間がないのもわかる。が、少額とは言え金を払う側に対して説明する努力を怠って、不必要とする患者にNGなどという札を貼り付けるような失礼極まりない対応を取るようなところには、かかっている医者に近いから薬は買ったとしても、例え数十円とて払う気には全くなれん。
俺の出身は医者なのに軍学者で陸軍統帥という訳のわからない経歴を持つ大村益次郎先生を排出した地域である。挨拶ですらきちんとした理由がない限り必要とは思っていない。偏屈と言うなら言えばいいが、理解し、納得がいく説明もなしにものが売れると思わないでいただきたい。
と、ここで書いてもなんの解決にもならないが、少しだけストレス解消にはなるだろう。できればただでさえ高い血圧をこんな訳のわからないシステムのために上げるのだけは避けてもらいたいものだ。
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生活実験
2017年5月16日火曜日
トレーニング日誌 2017/5/15~
一連の記事で行っている実験のまとめはこちらのページ、生活実験:トレーニングを参照ください。
ざっくりまとめると忙しい中で一日30分と週1回のウェイトトレーニング、食事制限で体脂肪を落とせるのか?という実験をやっています。
2017/5/15
体重:70.7kg
体脂肪率:16.9%
基礎代謝量:1625kcal
基礎代謝量:1625kcal
※今日は久しぶりに人間的な時間に帰ってきたので、これからの主食となる「ささげ発芽玄米」を作ってみた。
ささげとは、小豆(あずき)の亜種らしく、煮ても割れにくいので赤飯に最適なのだそうだ。赤飯のような縁起物の腹の部分が割れていると、切腹を連想させるため割れにくい「ささげ」が昔は重宝されたそうである。
で、何故「ささげ」を主食に取り入れるかというと、まず炭水化物量の摂取を抑えようという意図がある。良質なたんぱく質と、どうやら脂肪を燃焼させるビタミンB群が豊富だということだったので、単純に主食の量を減らして常時腹ペコ君になるよりは良いだろうと言う点と、鉄分など他の栄養も摂取できるだろうという目論見である。
で、動画のために料理を研究しているうちのかあちゃんに対する事前聴取によると、まず圧力鍋で煮るのが一番手間がかからないだろうということで、買ってみた
今回は最終的に発芽玄米2合に対して「ささげ」を2合にまでしていこうと考えているのだが、どうやらかあちゃん曰く、「3合に対して1合ぐらいでないと米の感じはしない」ということだそうだ。
あまりにいきなりまずいものを食うのも気が引けるので、まずは推奨値通りしてみようではないか。
かあちゃんに聴取したところによる圧力鍋の利用と、「ささげ」の調理の注意点は以下のようであった。
1.「ささげ」はまず一度普通の鍋で煮て、煮汁は捨てよ。味はそう変わらんかったがそうした方が良い。理由はかあちゃんにも不明。
2.この圧力鍋は2段階持っているが、高圧の方で調理せよ。
3.まず強火で圧力がかかったことを示すボタンが上昇するまで煮よ。
4.ボタン上昇と共に、ボタンが下がらないくらいまで弱火に落とし、20分煮よ。
5.火を落としたらボタンが下に下降するまで待て。この際、無理に圧力を下げるなどの馬鹿な真似はするな。
なるほど。わかったっ かあちゃん やってみるぜっ ( ゚Д゚)
まず鍋に一度煮た「ささげ」を入れる。ここで、取扱説明書では「豆類を煮る場合は容量の3分の1以上いれるべからず」とある。
1合を12時間水につけ、一度煮た状態の豆を入れると規定値(容積の3分の1)の3分の2程度となる。2合入れると規定値を超えそうだ。この点で圧力鍋を購入する予定の人は注意した方が良いかもしれない。
ガタイがえらくでかいので小さな容量のものを買ってしまうと、やろうと思っていることができない可能性がある。「容積注意」である。
まあ、日本企業の上限値はかなり厳しく考えていると思うので、将来的に俺は2合入れる。自己責任なわけなので文句など言わせないっ ( ゚Д゚) (真似しないでください)
ささげとは、小豆(あずき)の亜種らしく、煮ても割れにくいので赤飯に最適なのだそうだ。赤飯のような縁起物の腹の部分が割れていると、切腹を連想させるため割れにくい「ささげ」が昔は重宝されたそうである。
で、何故「ささげ」を主食に取り入れるかというと、まず炭水化物量の摂取を抑えようという意図がある。良質なたんぱく質と、どうやら脂肪を燃焼させるビタミンB群が豊富だということだったので、単純に主食の量を減らして常時腹ペコ君になるよりは良いだろうと言う点と、鉄分など他の栄養も摂取できるだろうという目論見である。
で、動画のために料理を研究しているうちのかあちゃんに対する事前聴取によると、まず圧力鍋で煮るのが一番手間がかからないだろうということで、買ってみた
今回は最終的に発芽玄米2合に対して「ささげ」を2合にまでしていこうと考えているのだが、どうやらかあちゃん曰く、「3合に対して1合ぐらいでないと米の感じはしない」ということだそうだ。
あまりにいきなりまずいものを食うのも気が引けるので、まずは推奨値通りしてみようではないか。
かあちゃんに聴取したところによる圧力鍋の利用と、「ささげ」の調理の注意点は以下のようであった。
1.「ささげ」はまず一度普通の鍋で煮て、煮汁は捨てよ。味はそう変わらんかったがそうした方が良い。理由はかあちゃんにも不明。
2.この圧力鍋は2段階持っているが、高圧の方で調理せよ。
3.まず強火で圧力がかかったことを示すボタンが上昇するまで煮よ。
4.ボタン上昇と共に、ボタンが下がらないくらいまで弱火に落とし、20分煮よ。
5.火を落としたらボタンが下に下降するまで待て。この際、無理に圧力を下げるなどの馬鹿な真似はするな。
なるほど。わかったっ かあちゃん やってみるぜっ ( ゚Д゚)
まず鍋に一度煮た「ささげ」を入れる。ここで、取扱説明書では「豆類を煮る場合は容量の3分の1以上いれるべからず」とある。
1合を12時間水につけ、一度煮た状態の豆を入れると規定値(容積の3分の1)の3分の2程度となる。2合入れると規定値を超えそうだ。この点で圧力鍋を購入する予定の人は注意した方が良いかもしれない。
ガタイがえらくでかいので小さな容量のものを買ってしまうと、やろうと思っていることができない可能性がある。「容積注意」である。
まあ、日本企業の上限値はかなり厳しく考えていると思うので、将来的に俺は2合入れる。自己責任なわけなので文句など言わせないっ ( ゚Д゚) (真似しないでください)
鍋の前の方にある黒いプラスティック部分にある赤いボタンが上昇した状態。ここで弱火にするらしい。
わかりにくかもしれないが火加減を最弱にした状態でも湯気が出ている。いい感じで圧力がかかっていると思われる。
煮た豆(1合)と発芽玄米(3合)。煮汁も一緒にとっておけと言われた。ここで、火を止めてから圧力を早く抜こうと圧力段階を「1」に変えたところ煮汁ごと噴き出した。
なるほど、これがかあちゃんの注意点だったわけか。かあちゃん、了解した。かなりきつめに「気をつけよ」と言ったのはこれだったわけか。今回煮汁は半分ほど無駄になったっぽいがまあ、仕方ない。
発芽玄米を簡単に洗い、豆と煮汁を入れてみた。ここでまんべんなく豆を分布させようと混ぜた。豆はかなり柔らかく煮こまれており、混ぜ混ぜしている間にいくつかつぶれる感触がした。
ここで「炊く間にどうせ豆だけ上昇するのでは?」と冷静になってしまった。まあよい、切腹が縁起が悪いと言え、現代で切腹に処せられる心配などない。
水の分量を発芽玄米4合分にするか迷って3合のところで見てみたが、ひたひたになるぐらいだったので今回は4合分(白米の5合分:自分で作る人は要調整)でやってみた。
ここは結果を見て調整が必要なところである。
今日は給料日だったので、まずは弁当箱を買ってみた。適量の主食と鶏ゴボウサラダを入れる必要が出てきたからだ。これで4,000円であるが、まあ仕方がない。
今回ごはん入れには用はない。しばらくお蔵入りさせて、以前から持っている汁用のサーモスを代わりに入れる。シマチューさんの同じセクションで大きさは確認済みだ。(四角いプラスティックの横に配置された丸型のものが汁用サーモスである。)
炊きあがりは上々のようだ。カニ穴もわかりにくいができていた。
今回買ったお弁当箱のおかず容器に入れてみたところ、いつもの165gよりも多く入るようだった。これはいかん・・・
とりあえず今回は165g程度に収まるようにしながら冷凍保存用に9つに分けてみた。
Slismさんで色々と計算したところ、165g当たりのカロリーは玄米が279kcalに対して260kcal、炭水化物が60.16gに対して53.14gとなった。これを最終段階では1日一杯にしようと考えている。足りない部分は鶏ゴボウサラダで埋めることで空腹も紛れるのではないかと言う目論見である。
体重:70.3kg
体脂肪率:17.3%
基礎代謝量:1608kcal
基礎代謝量:1608kcal
フレンチプレス(10kg) x20
ワンハンドローイング(10kg) x15
ダンベルランジ(左右:10kg) x10x左右
サイドレイズ+デッドリフト(10kg) x10
トライセプスエクステンション(10kg) x10
トライセプスエクステンション(10kg) x10
大胸筋アイソメトリック x2
昨日作成した発芽玄米の赤飯を165g、それと鶏ゴボウサラダを一口分、スペースが余ったのでサニーレタスを施してみた。
最終段階では赤飯の量を半分にする予定なので、その分量を鶏ゴボウサラダで埋める、と、こういう目論見なのだが、昼に食べているごはんのあてのサバの味噌煮缶がタンパク質的には必要になるので、おかずに鯖缶食べられるぐらいの何かが必要だと考えているのだ。
つまり・・・ 鶏ゴボウサラダで鯖缶が食べられるかの実験である。
これに今日までいつもお世話になっている味噌汁用のサーモスを加える。
そして今日の朝飯がこれだ。塩分補給のためにシソ昆布を追加している。これがないと塩気は味噌汁だけになる。食えなくはないが美味しいなどと言う感覚からは北極と南極ぐらい離れてしまう。
いつかトイレでハンカチを使ったら「女子力が高い」と言われたことがあるが、いや、ハンカチぐらいで驚いてどうするんだ?
ハンカチで女子力が高かったら俺は既に通り過ぎて「おねえ」になってしまうではないかっ( ゚Д゚)
失礼しちゃうわっ(# ゚Д゚)プンスコ!!
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生活実験
2017年5月15日月曜日
Days at home 6: the 4th patriarch, and another story begins?
(日本語のエントリーはこちら)
It was the day before I came back to Tokyo, the island held a festival, which has the event in that children could catch fish with bare hands.
It was the day before I came back to Tokyo, the island held a festival, which has the event in that children could catch fish with bare hands.
The last year, my nephew said he didn't want to go that kind of childish event, but I scolded him and forced him to go by saying "you can't even earn money for what you do. If you can get something for free because your are a child, get it for the family ( ゚Д゚)", but this year, I took him to let him help our tasks.
It's the picture of my nephew worn by the worker's cloth.
I wrote this before but my brother is a doctor. Though, I thought he would take a house because he is the first born.
With an incident, we fought and I had never talked to him since then till my father's death.
The year before he passed away, I was told that my brother borrowed a huge amount of money and made a doctor's office near his wife's home. Also, my father told me to support my mom as much as possible and to go home whenever I got tired of living in Tokyo. About my brother, he sadly said that my brother never made it to take our house because he already had his own house.
He was on an artificial ventilator at the time, so he told me that much of his orders with his writing and leaking of his breath from his throat.
He was on an artificial ventilator at the time, so he told me that much of his orders with his writing and leaking of his breath from his throat.
After that, it looked like she was synced with my father's will but my mom started to gather all the family heritage and let me have it. After a bit while later, I agreed to take the house.
(Picture: The nephew timidly tries to scratch the ground with a pickaxe of which one claw was broken, which probably used to belong to the first patriarch. He is preparing to be a doctor to take my brother's office. I don't know about the nieces who at the time were catching fish in the event, but I suppose he is going to be another house's patriarch.)
(Picture: The nephew timidly tries to scratch the ground with a pickaxe of which one claw was broken, which probably used to belong to the first patriarch. He is preparing to be a doctor to take my brother's office. I don't know about the nieces who at the time were catching fish in the event, but I suppose he is going to be another house's patriarch.)
One thing I recalled. My father's will was "go to work 15 minutes before it starts, and do not hesitate to do dirty tasks." Sorry father, I almost forgot.
The day my father passed away, we had a big fight again, and at the time my brother said "I can't force my kids to take a house or anything. People should live in liberty", or something like that sort of bull shit. Well, it makes some sense but he was better off being a doctor with his lack of consideration like how the father would have to think of the circumstances of his doing whatever he wants at a time as a result.
(Picture: This was actually the first time I myself lead construction tasks, so it was totally experimental, but we probably make the way wide enough for the agrimotor to pass by. The wall on the left of the picture is that the nephew dug, and the right is of my work. He sometimes stopped working when he found lizards came out of the ground, but well done, buddy, I praise you.)
At the moment, I really don't have anything on hand, but when it comes to think about it, the nation is made of the families in it. The growth of nuclear families weaken it, and may be the reason of less children in the developed countries.
If there's something I could do to the nation, it's me keeping a family, I came to think that way. Well, I don't even have a girlfriend who may possibly be my wife yet though lol.
At the moment, I really don't have anything on hand, but when it comes to think about it, the nation is made of the families in it. The growth of nuclear families weaken it, and may be the reason of less children in the developed countries.
If there's something I could do to the nation, it's me keeping a family, I came to think that way. Well, I don't even have a girlfriend who may possibly be my wife yet though lol.
(Picture: We dressed the fish the nieces got from the event and made a dinner with them. The guts of 7 fish became a soy-sauce cooked dish and it's something you got to have alcohol with it. At the time my nephew and I tried to make the way wider, they really enjoyed the festival.)
Tsunoshima became a big sightseeing spot after the bridge was made, and the road would be filled with people who have nothing else to do other than drive. We were not able to move from the house and we had nothing to do, so I made my nephew to help me chop woods. He never lived in the countryside, it was rather a rare experience for him. I remember it was around the same age when I got the first permission to chop woods.
The day after right before I came back to Tokyo, I instruct him how to chop one other time then I took Shinkansen. On the way to the apartment in Tokyo, I went to a motor cycle shop to pick up my motor cycle I dropped before going back home.
I got my motorcycle's front wheel and its brake pad replaced and rear brake overhauled because it was not working.
Tsunoshima became a big sightseeing spot after the bridge was made, and the road would be filled with people who have nothing else to do other than drive. We were not able to move from the house and we had nothing to do, so I made my nephew to help me chop woods. He never lived in the countryside, it was rather a rare experience for him. I remember it was around the same age when I got the first permission to chop woods.
The day after right before I came back to Tokyo, I instruct him how to chop one other time then I took Shinkansen. On the way to the apartment in Tokyo, I went to a motor cycle shop to pick up my motor cycle I dropped before going back home.
I got my motorcycle's front wheel and its brake pad replaced and rear brake overhauled because it was not working.
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2017年5月14日日曜日
トレーニング日誌 2017/5/13~
一連の記事で行っている実験のまとめはこちらのページ、生活実験:トレーニングを参照ください。
ざっくりまとめると忙しい中で一日30分と週1回のウェイトトレーニング、食事制限で体脂肪を落とせるのか?という実験をやっています。
2017/5/13
体重:71.3kg
体脂肪率:18.1%
基礎代謝量:1617kcal
基礎代謝量:1617kcal
ちなみに肉体年齢の項目は今回から省くことにした。もう大体30代前半だし、誰もこんな親父の肉体年齢など興味がないだろうからだ。
興味がある人がいたらコメントいただきたい。変態の称号を謹んで贈らせていただこう。
体重:70.6kg
体脂肪率:18.0%
基礎代謝量:1602kcal
基礎代謝量:1602kcal
フレンチプレス(10kg) x20
ワンハンドローイング(10kg) x15
ダンベルランジ(左右:10kg) x10x左右
サイドレイズ+デッドリフト(10kg) x10
トライセプスエクステンション(10kg) x10
トライセプスエクステンション(10kg) x10
大胸筋アイソメトリック x2
納豆・卵・豆腐には今まで醤油5gと遠慮していたが、食事量が劇的に減ってきたので10gにしている。こうすると意外と満腹感が出てくる。
体重と塩分量の関連性をExcelの「Correl関数」で見てみるとそれほど関連性は高くないように見えるので、まだ体脂肪率が10%までいっていない段階では影響がないのかもしれない。
昨日の食事の結果としては、やはり少し入眠に難があるように思われる。また、関連性があるかは不明だがひどい寝汗に悩まされた。
しかし人間は順応性が高い動物である。おそらく1週間もすれば慣れてくるはずである。
今日は納豆・卵・豆腐に生野菜のサラダである。これを一日で食べていたのは食べすぎだったのかもしれないw
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生活実験
2017年5月13日土曜日
Days at home 5: the 3.5th patriarch
(日本語のエントリーはこちら)
By the May second, we finished cutting the path to our fields in the abandoned area and cultivating the field on the hill.
She has kept saying that she wanted to use the tractor in these fields, but I said "no" because it's dangerous with stumps like in the pic below and with the way narrow. But my mother never gives up on things. She kept saying it enough times for me to give up on convincing her any more.
Like I said, my mom never gives up on things she wants. Just like her bringing my father back to the world so many times, I have to admit that the reason I could earn for what I do now is totally because of this behavior of hers.
I heard it's totally not something unusual these days, but I didn't talk or walk even when I reached 2 years old. The home doctor in the town said to my mom "be prepared, because he will be retarded".
(Picture: We removed the stump by cutting it with an ax. It's difficult because it's on the ground.)
She completely denied to accept the old fashioned statistics which had somewhat majestic power like Shamanism back then.
(Picture: After removing just one stamp. It took us for good 30 minutes to remove just one. We still have 4 or 5 more, and I already regret that I made a promise to her.)
Since then, she laid me down facing up and pushed my feet one after another saying "this is how you walk" every night, and she also read books whenever she had spare time.
Thanks to her, I started to walk and talk, and I became able to somehow communicate with other kids until I realized my language was so fucked up enough to confuse others in the age of 10. I probably had a light speech impediment, so my growth was a little weird indeed.
(Picture: I got tired of chopping the stump in the ground, so we started to cut grasses on the footpaths. The number of the fields she opened up so far is 6, and the picture is of the first one. It's maybe difficult to tell where the footpath is, but we cut it anyways. By the way, we still have another field left untouched, and that is as large as the fields we got so far altogether.)
In addition to my developmental disabilities, my brother used to have atopic dermatitis, and I was allergic to eggs. My brother was healed gradually after he moved from Tokyo to Shimonoseki, but my allergy was so bad that I used to get hives all over my body even with a bit of egg. If we think about it, foods that have eggs in them are so many, so it is unbelievable how she managed avoiding such ingredients. And at this point as well, she never gave up.
(Picture: After cutting the first one, we started to cut the second one which is a little higher in its level. The latter fields other than the first one were not so rough probably because they were used until the end of the total abandonment. My mom recently had lung surgery, and she was forbidden to cut grasses with a cutting machine, so she just cleaned the grasses I cut and left all the other tasks to me.)
She fed me eggs little by little and examined all of my body after the meals, and she increased the amount gradually over ten years.
I remember when I was a student in the U.S. and took the first health examination, there was a query asking "do you have allergy to anything?". I asked the nurse "I was allergic to eggs but it's completely healed by now. Do I have to put it on the report?" and she looked so shocked. I don't know how difficult it is, but it's totally healed. I even eat an raw egg with Natto everyday and have no problem.
(Picture: The second field. The plants on the left are made up one which were combined broccoli and a Chinese plant. My mom thought it would be nice to have yellow flowers all over the place and planted them last winter. I heard the field was filled with bright yellow in the spring this year.)
My mom started to work at hospital as a nurse when I was ten. She graduated a nurses' school which was probably equivalent to a college now (the school changed its name several times, so it's difficult to tell what it was at the time) and she got the license, and then she met my father and quit the job when she bore my brother. But she decided to get a job again, thinking my brother and I would need some money in the future to go colleges.
Once I became able to eat eggs, she taught me how to cook from cooking rolled omelets, and I became capable of cooking descent foods. I used to feed my brother back then, which I think is weird because usually the elder feeds the younger.
(Picture: The second one is vertically long. When the flower flourished, I suppose it was like the Crescent Moon. She is thinking about planting more next year to surprise the island's people.)
When I was eleven, my brother and I got high scores on Intelligence quality test. That was when my teacher back then said to her "it's your responsibility if these kids become bums".
Yeah, indeed I became a bum, but thanks to her having worked since then, my brother could graduate a doctor course and I could take an MBA program. The rude expression the teacher said to her actually worked totally the opposite way, and it worked very well eventually. Oh, by the way, my score on the IQ test was way better than my brother's, I should add that point for my honor.
(Picture: It's the fifth field before cutting. The fifth one faces to the path, so she wants to take the tractor into this one, so that she could improve the efficiency of the farm. The tall grasses are thatch, and they are really hard in their roots and make the cutting difficult. In about half way to the end this time, my mom was thinking if I was going to give up. Yeah, I was almost there, mom.)
After a bit later, she started working at a bigger hospital, and she became the head of nurses in the end there. Although, she really hated the work environment there however she maybe had liked her job itself.
(Picture: The fifth field. Once the grasses are gone, you can finally tell it was a flat field. After opening up these fields, she periodically cut grasses around the fields. A tip to continue cleaning is to work on it little by little.)
Then my mother kept adjusting how and where to work after we found the cancer in our father, and she pretty much concentrated on my father's recovery.
I made her pay for the PC parts and assembled, then I told her how to take videos on her mobile, we have been keeping to upload videos every week with weekly meetings.
(Picture: She gathered watercress and dropwort after the job. She looks pretty content with the success of planting new seeds in the field.)
She happened to go back to my father's home where she had nobody to talk to, but she was worried that the number of people has been decreasing drastically and nobody took any action for it.
Having heard of her story about that so many times, when I went back home to gather sea urchins in 2017(ish?), I told her "if nobody works on it, you yourself have to do it. People would not try if the outcome is so uncertain" and I succeeded to ignite her motivation who once had nothing but a lot of free time.
(Picture: After going back to the house, I ate and took a nap, then I started to make fire with the grasses I cut right after I came home. Gathering grasses on the ground around our house.)
After breaking through the path and the field we have, she started investigating what kind of plants would be good for selling and what sort of them would fit to the soil and its condition now.
In the winter of 2017, she gathered camellia seeds because it was too cold to do anything else, and she made camellia oil by herself. We tried to sell the oil, but we then found out that we need a license to make and sell cosmetics, so we are thinking how to handle the situation.
(Picture: The first furnace on the main road. I relocated it because my mom wanted to make fire after taking for a walk with her friends to get warm. This time I used this to burn grasses in front of the house.)
Recently, my mom got a dealership at the famous shop around the town. She would be selling stuff like citrus which are naturally grown around the house and other things which require less effort.
(Picture: On this day right before the so-called Golden week (in Japan, there are so many National holidays thanks to Americans who complained about the hard work of Japanese back in 80's, and we have three days off in a row in May, which can be added up to 5 days off including Saturday and Sunday), my brother wanted to come back home after my niece's stupid ballet lesson, and we had to stay awake until 23:00 on which they would be back. I was thinking not to drink that night because of it, but the best friend of my father gave us a yellowtail, so I waited until 21:00 and made a supper for myself. Usually my mom finishes her supper at around 19:00. I ate watercress just as is in a salad bowl, and my mom made sesame salad with dropwort. The fish tasted far better than I usually eat probably because they know how to kill fish.)
She cut vegetables for me to cook later and fell asleep. I sautéed beef, onion and garlic sprouts with Soba sauce. When I finished half of it, my brother finally made back and ate the rest.
By the May second, we finished cutting the path to our fields in the abandoned area and cultivating the field on the hill.
She has kept saying that she wanted to use the tractor in these fields, but I said "no" because it's dangerous with stumps like in the pic below and with the way narrow. But my mother never gives up on things. She kept saying it enough times for me to give up on convincing her any more.
Like I said, my mom never gives up on things she wants. Just like her bringing my father back to the world so many times, I have to admit that the reason I could earn for what I do now is totally because of this behavior of hers.
I heard it's totally not something unusual these days, but I didn't talk or walk even when I reached 2 years old. The home doctor in the town said to my mom "be prepared, because he will be retarded".
(Picture: We removed the stump by cutting it with an ax. It's difficult because it's on the ground.)
She completely denied to accept the old fashioned statistics which had somewhat majestic power like Shamanism back then.
(Picture: After removing just one stamp. It took us for good 30 minutes to remove just one. We still have 4 or 5 more, and I already regret that I made a promise to her.)
Since then, she laid me down facing up and pushed my feet one after another saying "this is how you walk" every night, and she also read books whenever she had spare time.
Thanks to her, I started to walk and talk, and I became able to somehow communicate with other kids until I realized my language was so fucked up enough to confuse others in the age of 10. I probably had a light speech impediment, so my growth was a little weird indeed.
(Picture: I got tired of chopping the stump in the ground, so we started to cut grasses on the footpaths. The number of the fields she opened up so far is 6, and the picture is of the first one. It's maybe difficult to tell where the footpath is, but we cut it anyways. By the way, we still have another field left untouched, and that is as large as the fields we got so far altogether.)
In addition to my developmental disabilities, my brother used to have atopic dermatitis, and I was allergic to eggs. My brother was healed gradually after he moved from Tokyo to Shimonoseki, but my allergy was so bad that I used to get hives all over my body even with a bit of egg. If we think about it, foods that have eggs in them are so many, so it is unbelievable how she managed avoiding such ingredients. And at this point as well, she never gave up.
(Picture: After cutting the first one, we started to cut the second one which is a little higher in its level. The latter fields other than the first one were not so rough probably because they were used until the end of the total abandonment. My mom recently had lung surgery, and she was forbidden to cut grasses with a cutting machine, so she just cleaned the grasses I cut and left all the other tasks to me.)
She fed me eggs little by little and examined all of my body after the meals, and she increased the amount gradually over ten years.
I remember when I was a student in the U.S. and took the first health examination, there was a query asking "do you have allergy to anything?". I asked the nurse "I was allergic to eggs but it's completely healed by now. Do I have to put it on the report?" and she looked so shocked. I don't know how difficult it is, but it's totally healed. I even eat an raw egg with Natto everyday and have no problem.
(Picture: The second field. The plants on the left are made up one which were combined broccoli and a Chinese plant. My mom thought it would be nice to have yellow flowers all over the place and planted them last winter. I heard the field was filled with bright yellow in the spring this year.)
My mom started to work at hospital as a nurse when I was ten. She graduated a nurses' school which was probably equivalent to a college now (the school changed its name several times, so it's difficult to tell what it was at the time) and she got the license, and then she met my father and quit the job when she bore my brother. But she decided to get a job again, thinking my brother and I would need some money in the future to go colleges.
Once I became able to eat eggs, she taught me how to cook from cooking rolled omelets, and I became capable of cooking descent foods. I used to feed my brother back then, which I think is weird because usually the elder feeds the younger.
(Picture: The second one is vertically long. When the flower flourished, I suppose it was like the Crescent Moon. She is thinking about planting more next year to surprise the island's people.)
When I was eleven, my brother and I got high scores on Intelligence quality test. That was when my teacher back then said to her "it's your responsibility if these kids become bums".
Yeah, indeed I became a bum, but thanks to her having worked since then, my brother could graduate a doctor course and I could take an MBA program. The rude expression the teacher said to her actually worked totally the opposite way, and it worked very well eventually. Oh, by the way, my score on the IQ test was way better than my brother's, I should add that point for my honor.
(Picture: It's the fifth field before cutting. The fifth one faces to the path, so she wants to take the tractor into this one, so that she could improve the efficiency of the farm. The tall grasses are thatch, and they are really hard in their roots and make the cutting difficult. In about half way to the end this time, my mom was thinking if I was going to give up. Yeah, I was almost there, mom.)
After a bit later, she started working at a bigger hospital, and she became the head of nurses in the end there. Although, she really hated the work environment there however she maybe had liked her job itself.
(Picture: The fifth field. Once the grasses are gone, you can finally tell it was a flat field. After opening up these fields, she periodically cut grasses around the fields. A tip to continue cleaning is to work on it little by little.)
Then my mother kept adjusting how and where to work after we found the cancer in our father, and she pretty much concentrated on my father's recovery.
When my father passed away, she was totally exhausted and lost, but we started to upload cooking videos I once used to do because just by calling on the phone we would have had less to talk about with each other.
I made her pay for the PC parts and assembled, then I told her how to take videos on her mobile, we have been keeping to upload videos every week with weekly meetings.
This was the first time for her to use a PC intensively, but for her, it's not tiring to challenge new things like this.
(Picture: She gathered watercress and dropwort after the job. She looks pretty content with the success of planting new seeds in the field.)
She happened to go back to my father's home where she had nobody to talk to, but she was worried that the number of people has been decreasing drastically and nobody took any action for it.
Having heard of her story about that so many times, when I went back home to gather sea urchins in 2017(ish?), I told her "if nobody works on it, you yourself have to do it. People would not try if the outcome is so uncertain" and I succeeded to ignite her motivation who once had nothing but a lot of free time.
My mom started to break through the once abandoned path since the August 2017(ish), and with her friend, she made the path alive by connecting to the other side of the road. She actually cut grasses with the height taller than her which laid for 400 meters.
(Picture: After going back to the house, I ate and took a nap, then I started to make fire with the grasses I cut right after I came home. Gathering grasses on the ground around our house.)
After breaking through the path and the field we have, she started investigating what kind of plants would be good for selling and what sort of them would fit to the soil and its condition now.
She made her mind to plant Soba, which may be the original of the island, and pumpkins and red beans for her experiment.
(Picture: There are lilies naturally grown on the way from our barn to the main road in front of our house. When we burn them, weird smell comes out and they usually are just smoky for so long. On the right bottom corner on the pic, it's the furnace I made from a rice can. It's the second one I made.)
In the winter of 2017, she gathered camellia seeds because it was too cold to do anything else, and she made camellia oil by herself. We tried to sell the oil, but we then found out that we need a license to make and sell cosmetics, so we are thinking how to handle the situation.
(Picture: The first furnace on the main road. I relocated it because my mom wanted to make fire after taking for a walk with her friends to get warm. This time I used this to burn grasses in front of the house.)
Recently, my mom got a dealership at the famous shop around the town. She would be selling stuff like citrus which are naturally grown around the house and other things which require less effort.
For now, I could not go back home right away (2022 addition: I made my decision to come home in 2019), so there's no time to let her live on just her pension. If I go back, I need her to expand the market and to make at least 20 thousand dollar an year. With that much money, we could at least live with the low cost around the region and the house we have. If we can add some other earnings to it, we would be well off in my calculation.
(Picture: On this day right before the so-called Golden week (in Japan, there are so many National holidays thanks to Americans who complained about the hard work of Japanese back in 80's, and we have three days off in a row in May, which can be added up to 5 days off including Saturday and Sunday), my brother wanted to come back home after my niece's stupid ballet lesson, and we had to stay awake until 23:00 on which they would be back. I was thinking not to drink that night because of it, but the best friend of my father gave us a yellowtail, so I waited until 21:00 and made a supper for myself. Usually my mom finishes her supper at around 19:00. I ate watercress just as is in a salad bowl, and my mom made sesame salad with dropwort. The fish tasted far better than I usually eat probably because they know how to kill fish.)
She cut vegetables for me to cook later and fell asleep. I sautéed beef, onion and garlic sprouts with Soba sauce. When I finished half of it, my brother finally made back and ate the rest.
Why the fuck you keep eating my dishes, damn useless bro ! ( ゚Д゚)
The mother of his wife also came along without notice, so futons were not enough for all of us. So, I had to sleep aside of my mom.
The mother of his wife also came along without notice, so futons were not enough for all of us. So, I had to sleep aside of my mom.
Her cats kept scouting around her all night, while I was trying not to bother her sleep. The two small feline would save her well while I'm gone. It's relieving.
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2017年5月12日金曜日
不定期身体測定 実験中:20170512
12月末から続けている実験で一日30分のトレーニングと週1回のジム、それに食事制限で体脂肪が落ちるかを検証している。
12月末時点からどのくらい変化しているかを確認するために、比較の数値は実験開始直前のものを採用する。
5月12日時点での測定値の前に、ジムでの測定の結果を見てみたい。前回の測定は3月29日で、今回は5月5日である。
体重:74.2kg ⇒ 72.5kg
筋肉:33.1kg ⇒ 33.8kg
体脂肪: 15.9kg ⇒ 12.8kg
体脂肪率: 21.5% ⇒ 17.7%
ざっくりとだが体重は1.7kg程度減量している。体脂肪率は4%弱の減少である。一か月程度での結果なので、一か月で4%の体脂肪率を落とすのはそこまで苦しくないことが分かった。ただし、ここから先はどんどん辛くなる可能性が高い。目指しているのは10%以下になるので、7月の中旬まで後二か月間、修羅の道となると思われる。
2016/12/29 ⇒ 2017/5/12
体重:75.8kg ⇒ 71.5kg
体脂肪:21.8% ⇒ 17.0%
胸囲: 106.0 ⇒ 106.0
上腕伸展囲: 31.6 ⇒ 37.0
上腕屈曲囲: 36.5 ⇒ 40.0
前腕周径: 30 ⇒ 31
胴囲: 92 ⇒ 80
大腿周径: 54.3 ⇒ 56.0
※数値だけだと前回から上腕が1cmだけ太くなっているが、胸囲は1cm減って元に戻っている。これはぜい肉が落ちたんだと思われる。ジムでの測定では体幹筋肉量が27.6kgから28.0kgと微増しているので、ここは心配ない。
2016/12/29時点
↓
2017/4/1時点
↓
2017/5/12時点
4月時点からはあまり違いが見られないものの、腕周りが一回り大きくなっているように見える。
2016/12/29時点
↓
2017/4/1時点
↓
2017/5/12時点
横から見た場合、大胸筋部分が少し大きくなっているように見える。また、腹筋の起伏がほんの少しだがはっきりとしてきているように見える。
先日職場の同僚で一週間に1kgの減量を食事だけで達成したことのある人と話す機会があった。食事量だけで減量を続けていくと、同時に基礎代謝量も落ちてくるため体重の減少率は同じことをしていくと少しずつ減っていくらしい。これは一理あるように思う。
また、1kgの減量をしようと考えると、7,000kcalの差が必要になるらしい。現時点での体重が72.5kgになっているため、ここから8%の体脂肪を落とすためには、純粋に体脂肪のみが落ちると計算すると6.72kgとなり、ざっくりとなるが2か月で8kg程度の減量が必要となってくる。
つまり、週に1kgの減量を目指して行っていけば間違いなく達成できそうである。週に7,000kcalの摂取カロリー、つまり一日1,000kcalを削っていくことになるわけで、一日の必要摂取カロリーから逆算すると一日1,400kcal程度まで落とす計算になる。
ここから向こう一週間でこの水準まで落としていこうと考えている。今考えているのは今まで摂っていた夕食一日分を二日に分けて摂ることと、主食である発芽玄米を工夫して半分に減らすことで達成できそうであるとめどが立っている。
修羅の道である。意志力で乗り切って見せるっ ( ゚Д゚)
ちなみに10秒程度息を止めれば肩に血管が浮くようになってきた。馬のケツまで後一歩であるっ ( ゚Д゚)
12月末時点からどのくらい変化しているかを確認するために、比較の数値は実験開始直前のものを採用する。
5月12日時点での測定値の前に、ジムでの測定の結果を見てみたい。前回の測定は3月29日で、今回は5月5日である。
体重:74.2kg ⇒ 72.5kg
筋肉:33.1kg ⇒ 33.8kg
体脂肪: 15.9kg ⇒ 12.8kg
体脂肪率: 21.5% ⇒ 17.7%
ざっくりとだが体重は1.7kg程度減量している。体脂肪率は4%弱の減少である。一か月程度での結果なので、一か月で4%の体脂肪率を落とすのはそこまで苦しくないことが分かった。ただし、ここから先はどんどん辛くなる可能性が高い。目指しているのは10%以下になるので、7月の中旬まで後二か月間、修羅の道となると思われる。
2016/12/29 ⇒ 2017/5/12
体重:75.8kg ⇒ 71.5kg
体脂肪:21.8% ⇒ 17.0%
胸囲: 106.0 ⇒ 106.0
上腕伸展囲: 31.6 ⇒ 37.0
上腕屈曲囲: 36.5 ⇒ 40.0
前腕周径: 30 ⇒ 31
胴囲: 92 ⇒ 80
大腿周径: 54.3 ⇒ 56.0
※数値だけだと前回から上腕が1cmだけ太くなっているが、胸囲は1cm減って元に戻っている。これはぜい肉が落ちたんだと思われる。ジムでの測定では体幹筋肉量が27.6kgから28.0kgと微増しているので、ここは心配ない。
2016/12/29時点
↓
2017/4/1時点
↓
2017/5/12時点
4月時点からはあまり違いが見られないものの、腕周りが一回り大きくなっているように見える。
2016/12/29時点
↓
2017/4/1時点
↓
2017/5/12時点
横から見た場合、大胸筋部分が少し大きくなっているように見える。また、腹筋の起伏がほんの少しだがはっきりとしてきているように見える。
先日職場の同僚で一週間に1kgの減量を食事だけで達成したことのある人と話す機会があった。食事量だけで減量を続けていくと、同時に基礎代謝量も落ちてくるため体重の減少率は同じことをしていくと少しずつ減っていくらしい。これは一理あるように思う。
また、1kgの減量をしようと考えると、7,000kcalの差が必要になるらしい。現時点での体重が72.5kgになっているため、ここから8%の体脂肪を落とすためには、純粋に体脂肪のみが落ちると計算すると6.72kgとなり、ざっくりとなるが2か月で8kg程度の減量が必要となってくる。
つまり、週に1kgの減量を目指して行っていけば間違いなく達成できそうである。週に7,000kcalの摂取カロリー、つまり一日1,000kcalを削っていくことになるわけで、一日の必要摂取カロリーから逆算すると一日1,400kcal程度まで落とす計算になる。
ここから向こう一週間でこの水準まで落としていこうと考えている。今考えているのは今まで摂っていた夕食一日分を二日に分けて摂ることと、主食である発芽玄米を工夫して半分に減らすことで達成できそうであるとめどが立っている。
修羅の道である。意志力で乗り切って見せるっ ( ゚Д゚)
ちなみに10秒程度息を止めれば肩に血管が浮くようになってきた。馬のケツまで後一歩であるっ ( ゚Д゚)
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