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毎週木曜日になると提出されたフロッピーでシステム更新を続ける毎日を送りながら授業を受けるということを続けていたのですが、その頃になると仕事も多くなっていたので自宅のPCにこのゲームのオペレータープログラムをインストールして夜遅くなった時は自宅で作業をすることも多くなってきた頃のことでした。
疲れてビールかウィスキーを飲みながら作業をしていたのだと記憶していますが、PCのディスプレイに花火が上がってあまりの訳のわからなさにそのまま寝てしまったことがありました。
おそらく提出されたフロッピーの中に「happy99.exe」に感染したものがあったのだと思われます。
翌日早朝に出勤して職場のPCでなんとかその週を終わらせたのですが、帰って勉強しようにもPCがうまく動かず・・・
その頃には大学生の友達が何人かいて、電話して聞きまわったのですがPCは治らず・・・
八方ふさがりの状態で、今は米国陸軍で将校をしている友達に言われたのが題名のコマンドでした。
「format c:」
当時Windows98を使っていたのですが、意外とOSからコマンドプロンプトだけで起動して、上のコマンドが成功したのですが・・・
PCは真っ黒い画面に「No bootable disk found」みたいな意味不明な言葉を繰り返す箱と化したのでしたw
今思い返せば「format c:」と言うコマンドが何を意味するかは火を見るより明らかなのですが、当時PCがどのように動くかなど考えたこともない僕が行ったこととしては無謀なのはPCのインストールをしたことがある人ならすぐわかることだと思います。
「Dude, you just need to slip in the recovery disk. That'll settle all things down alright」
(意訳: リカバリーディスク入れたらすぐ直るっしょ?それだけで問題解決やん」
僕のPCは地元の小さなPC工場で性能を指定して作ってもらった製品だったため、リカバリディスクみたいな大手のPCメーカが作ってくれるようなものは何もありませんでした。
代わりに地元のPC工場がPCと一緒に梱包してくれてたのは、文明文字が一切記載されていないCDとフロッピーディスク、それからマザーボードのマニュアルとWindows98のオペレーティングシステムディスクでした。
それからの3日間、Windowsのインストールマニュアルと格闘し、インストールが終わったらEthernetアダプタのドライバがないと怒られ、名前が書いてないCDとかフロッピーを入れながら要求されているドライバがなんなのかもわからず・・・
インストール直後に問われる必要なドライバがいつも変わってどれを入れていいかわからない僕は、「ではハードウェアを一回に一個入れたらいいのではないか?」と思い、思いつく限りのコンポーネントを外して一個ずつ、どの形をしたパーツ(その時はネットワークアダプタとフロッピーディスクの違いが判らないレベルで無知でした。今思えば笑えないレベルでw)にどのCDとかフロッピーディスクが適合するかを確認し、一つ一つ書き留めて突き止めました。
3日間、徹夜してまともに動き出したPCは、まったく新しく生まれ変わったPCというか相棒のようにキラキラ輝いているものに思えました。
半年後、別のウィルスに感染して、今度は1日で復旧したPCは、「いつもと変わらない姿」でそこにいたのは皮肉というか今でもそんなもんかって感じですがwww
それまで書いた論文はすべてまっさらになっていましたが・・・
一つ一つ、魂を込めたつもりで書いた論文は、今思えば全くのタワゴトだったように思います。死ぬほど調べて頑張った論文も、結局は努力した事実だけが意味を持つのだなぁ・・・と今となっては思えます。
思えばこの時、PCを何もわからないところから組みなおした経験が今の僕の根本を作ってくれたんだと思います。
お金もなく、PCを買いなおすこともできず、相談すべき人もいなかった僕が10万そこそこのPCをなんとか使える状態にするのが、今思えばなんということもない作業ですが、本当に貴重な体験だったんだと思えます。
ちょっと本題から外れますが、職場のPCは感染せずに私のPCだけに感染したのは私のPCがセキュリティソフトを敢えて外していたことが理由です。
セキュリティソフトを外していた理由は、その頃友達とやっていた「Age of Empire」というゲームのネット対戦がセキュリティソフトを入れているとどうしてもできなかったからなのですが、このころの経験からセキュリティソフトの有無に関わらず、大切なデータは可能な限りシステムパーティションから離れたところに格納し、二重化して別々の場所に保存するようにしています。
これは、前提として、セキュリティソフトで完全に感染を防ぐことは不可能だと考えているからです。まして自分の会社が出している広告をウィルスと検知してしまうようなおバカな大手セキュリティ会社がいる時点で全く信用できないわけですし、時にバージョンアップでブルーバックのストップエラーを出すようなセキュリティソフトもある以上、大手セキュリティ会社を完全に信用してシステムを運用するなど僕の考えでは全く受け入れられないです。
PCを復旧している間、授業はいつものようにこなし(この時点でPCはなくても普段の生活は絶対に過ごせる自信を持ったんですが)、仕事道具のPCが治り、治ったからと言って誰もほめてくれるわけでなく、いつもの生活に戻ったわけでした。
そんな夢中で仕事と勉強をしていた毎日を過ごしていたある日、担当の教授に呼び出されました。
普段の厳しい態度の教授から想像して何か最悪な事態(なにかやらかして首を切られるとか・・・)を想像していた私に、教授は一枚の紙を見せ、
「これは君のGAとしての評価表で、学長に提出して君の働きぶりを報告するものだ。」
と説明してくれました。そしてその場で、なんと私のいる目の前で評価を始めたのです。
評価内容:「言われた仕事を忠実にこなすことができるか・・・?」
評価: Excellent(5段階評価で5)
・・・・・・・・・
評価内容:「あなた(教授)の役に立っているか・・・?」
評価: Excellent
全てに最良の評価をつけてくれた教授は、丁寧に私の前で封緘し、私のいる目の前で秘書の女性に手渡しで学長に渡すようにお願いしてくれたのでした。
生きているといろんなところでいろんな評価を受けるものだと思います。そんな色んな評価の中で、私の人生の中で、これ以上の評価をしていただいたのは、ユーザさんに「助かりました。ありがとう」と言われた以外ではなかったと思います。
そしてその評価の最後に、「アメリカ人も含め、君ほどの優秀なGAは今までの経験でいなかった・・・」とまで言っていただけました。
今この記事を書いてるこの瞬間、教授がおっしゃった言葉は長く忘れていたことですが私の人生で3位以内に入る「私が感動した言葉」だったと思います。
教授はとても厳格な方だったので、この時初めて普段疑問に思っていたことを質問させていただける機会にもなりました。
いつも、教授の部屋の壁にかかっている、ただの小麦粉の袋を額縁にかけているものについて疑問に思っていたのですが、その時初めて質問させていただけました。
私: 「先生、いつも疑問に思っていて聞けなかったのですが、先生はなんの変哲もない袋をあそこの壁にかけておいでですよね?」
教授: 「その質問をしてくれる人がいつか来てくれることを今まで待って、この袋をここに飾ってたんだよ。君が初めてその質問をしてくれる人になったわけだが、よく気づいてくれた。この袋は私のひいおじいさんが、彼の経営していた袋工場で作成していた袋なんだよ。当時、私のひいおじいさんはこの袋を1つ作るごとに数セントを稼ぐ仕事をしていたんだ。これはお金を稼ぐということが、地道で大変なことなのだと言う戒めの意味で掛けているものなのだよ。」
この時の沈黙の時間は、言葉で埋めなければならない何かではなく、教授と僕の間を不思議と埋めてくれる何かだったように感じました。
考えてみれば、大学時代の授業って特に印象にも残らないものだと思いますし、教授もそのことを重々承知していたと思います。
その上で、学生が過ごすその時間をただ単なる「時間」と捉えず、かけがえのない一瞬だと認識した上で「一切の妥協を自分に許さずに生徒に向き合う」姿勢を貫き通した私の担当教授は我々日本人の思い描く「Professor」そのものだったと思います。
そして、小麦粉の袋を作るという地味な作業の継続が生活を支える糧となりうることを教えていただいた唯一の先生でした。
実はこのGAの仕事はこれだけに終わらないので、次の記事で続きを書かせていただこうと思います。
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