平成28年秋季 問4. 有限オートマトン
問題文「次の表は、入力記号の集合が{0、1}、状態集合が{a、b、c、d}である有限オートマトンの状態遷移表である。長さ3以上の任意のビット列を左(上位ビット)から順に読み込んで最後が110で終わっているものを受理するには、どの状態を受理状態とすればよいか。
Wikipediaによると、有限オートマトン(finite automaton: FA)または有限状態機械(finite state machine: FSM)とは、有限個の状態と遷移と動作の組み合わせからなる数学的に抽象化された「ふるまいのモデル」である。デジタル回路やプログラムの設計で使われることがあり、ある一連の状態をとったときどのように論理が流れるかを調べることができる。有限個の「状態」のうち1つの状態をとる。ある時点では1つの状態しかとらず、それをその時点の「現在状態」と呼ぶ。何らかのイベントや条件によってある状態から別の状態へと移行し、それを「遷移」と呼ぶ。それぞれの現在状態から遷移しうる状態と、繊維のきっかけとなる条件を列挙することで定義される。
・・・・まあ、わからんくはないがもう少しわかりやすく解説できないものか?
「ふるまいのモデル」というのはかなり端的に特徴をとらえているように思える。
以前友人と「見えずの刃」というゲームを作成していた時に、以下のような図がプログラムを書く際に「今、自分が書いているコードがどの位置にあるか」を確認するのに非常に有益だというようなことを説明してくれた。
問題文のように全てが記号だとわかりにくいが、つまりある状態にあるときに受け取る内容が次の状態への行き先を決めることだということらしい。
では、わかりやすいように「0:いいえ」「1:はい」と置き換えて状態をあてはめてはどうだろう?
名付けて「一歩先に踏み出せない喪男」の有限オートマトンっ( ゚Д゚)
まず「a.嫁さんを探す。相手に彼氏はいないか?」で、「いる:いいえ」で次の相手を探す。つまり「a.」に戻る。「いない:はい」で状態は「b.声をかけて反応があるか?」となる。
状態「b.」で「ある:はい」であれば状態は「d.」に移行し、「ない:いいえ」なら状態は「c.」に移行する。
状態「d.」では食事に誘い、「はい:断られる」であれば誘い続ける、つまり状態「d.」を試行し続ける。対して「いいえ:断れない」であれば状態「c.」に移行する。
状態「c.」では一歩先に進み、付き合ってと言ってみる。「b.」で反応がない場合もダメもとで付き合ってくれ、と、この男は言ってみるようだ。
「断られない:はい」で状態「b.」に戻り、再度声をかけてみる。「断られる:いいえ」で次の相手を探すことになる。
状態「d.」では断られ続けるにも関わらず食事に誘い続けるのに、状態「c.」で諦めが早すぎるのは謎だ。
それと、状態「c.」で断られないのに状態「b.」に戻ってしまうのも喪男であるが所以なのかもしれないが謎である。
さて、ここで問題に戻ると、「110」で終わる状態は何か?ということになる。
上の例で考えてみよう。
状態遷移表?を見ると最後が0で終わるのは状態「a.」と「c.」のみである。そこでそれぞれについて、逆引きで考えてみる。
状態「a.」より逆引き:
状態「c.」から断られたから「a.」に来ている。しかし、状態「c.」が「1:はい」を受け取れる口はない。ので、状態「a.」が「110」で受け入れ状態になることは不可能そうだ。
状態「c.」より逆引き:
状態「b.」からでも「d.」でも「0」を受け取って「c.」に来ることは可能だ。
状態「b.」は、「a.」から「1」を受け取ることは可能だが、「a.」は「1」を受け取ることはない、つまり断られなかったら、他の女性を探す気にはならないそうだ。いいぞっ( ゚Д゚) その調子だ。
状態「d.」は、何回でも女性を食事に誘い、連れ出すまであきらめないつまり「1」を受け取れるし、状態「b.」で声をかけて反応があっても「1」を受け取れる。
つまり、「b.」⇒「d.」⇒「c.」、「d.」⇒「d.」⇒「c.」でも状態「c.」には行ける。この行動を続ければ断らない女性ならなんでも行ける彼であればすぐに嫁さんをもらえそうだが、なぜだか断らないからと言って次のステップ、例えば「手をつないでみる」とか「キスを迫ってみる」などの行動が起こせない彼は、行動が有限であるがためにこのループからは永遠に抜け出せない。。。
ちなみに喪男とは、毒男と区別して使われている用語のようだ。
毒男: 女性との接触を断つことにより高度に精神的変化を遂げた求道者
喪男: 喪男とは毒男の見習いのようなもので、学生、年齢の若い者、ポジティブな思考が残っているものはこちらに分類される。
(出典: アンサイクロペディア「毒男」より)
毒男を有限オートマトンで表現するとこのようなところか・・・
興味があろうがなかろうが、同じところに戻るところにネガティブさがうかがえる・・・
しかしこのモデルが完成された美しささえ醸し出しているように思えるのは俺の感覚がおかしくなっているからだろうか・・・
ということを時間をかけて考えていて悲しくなってしまった orz
2017年1月6日金曜日
2016年12月29日木曜日
バルス( ゚Д゚)< format c: パート3
このシリーズのパート1とパート2で書いてきた経営戦略の授業は、同じゲームを使ったMBAコースも必修としてありました。
それまでは私の担当教授が全ての授業を行っていたのですが、私がこの授業を受けようとしていた直前のタイミングで新しい先生が入ってこられて、この先生が私の授業を担当いただけるようになったのは不思議なめぐりあわせだと思います。
授業を受けるようになるまでの1年間の間に、私はこのゲームのほとんど全てをマスターしていましたし、それは他の生徒には公平ではないのではないか?と思っていましたのでゲームに代わる何かをさせてもらえないかとこの新しい先生にお願いしたのですが。。。
「他のチームが何をするのかわからないわけだし、君がゲームに参加するのは問題ないと思う。」
と、聞き入れてもらえませんでした。
それまでの担当教授にも意見を求めましたが、「新しい先生の授業なわけだし、私が意見するのもどうかと思う。。。」と不思議な笑みをたたえながら特に干渉はされませんでした。
いいのかな・・・
と思いつつ、でもまあやらせてくれるというのであればやらざるを得ないわけですし、「後で後悔することになると思うのですが・・・」とかなり強く訴えたのですが結局は授業に取り組むことになりました。
当然このゲームのオペレータも私がすることになったわけで、やらなかったですが不正もし放題なわけなのですが・・・www
授業が開始され、ゲームの世界の一年目、私がチームになったのは南米系の陽気な二人だったのですが、とりあえずゲームの内容を一番把握していた私がある程度戦略について説明しながらしばらくは私がフロッピーを作成することになりました。
現実世界でもある程度同じように言えると思うのですが、やはり何を売るにしても市場を支配するのは品質だと思います。
私の1年目の戦略は借り入れを行って工場の生産能力を3倍程度に高めつつ、品質をそのゲームが取り得る値の最大にまで高めるということでした。
さらに他のチームが行ってくることがわからなかったため売り上げ予測は「辛め」にして設定し、資金繰りが圧迫されないように余裕を持って戦略を立てたのです。
私の予測では、MBAの生徒の集まりなわけですからかなり激烈な競争を想定していたのですが・・・
初年度の結果は8チーム中3位と言う結果に終わりました。
授業の教授は「それ見たことか」とほくそえんでいたのですが、結果の分析を行った私は驚くべき事実を知ることになりました。
ほとんどのチームがほぼ何もしていなかったということです。
確かに初めてのゲームですので、様子を見るというのは当然の戦略とは思うのですが、この時点で私のチームはゲーム世界最大の生産力と、他のチームでは絶対に超えられない品質の高さを持つことになったのです。
ではなぜ1年目の結果が3位になったかというと、このゲームが持っていた「自社ブランドでの売り上げ」と「OEM(ゲーム内の架空の会社のブランド製品受託製造)生産の売り上げ」の内、自社ブランドでの売り上げ市場が「他のチームが何もしなかった故に需要が供給を大きく超え、どのチームが生産したものも売り切れたからです。
つまり、最も楽観的な値段で売ったチームの売り上げ金額が大きく伸びたため、他のチームとの競争を想定した私のチームの売り上げは「もっと高く売れたものをかなり安く売ってしまった」ために利益がそこまで出なかったという結果だったわけです。
この分析の結果、私にわかったことは他のチームはこの時点で品質面でも生産能力面でも競争相手にはなれず、以降、私の思いのままに市場を独占できるようになるということでした。
この授業の担当教授が「ゲームのルールを知り尽くした人間が何をできるか」について思い知ったのはゲームの2年目でした。
説明が難しいのですが、このゲームではOEM生産の市場はある程度「安定した売り上げが見込める」もので、自社ブランドでの売り上げを超過する生産についてはOEM生産で売ることで会社の資金繰りをある程度固い予測の元に計画できるようになっていました。
逆に自社ブランドでの販売は他のチームとの競争が発生するものだったため、全てを自社ブランドで販売すると競争に負けた場合に大きな穴をあけてしまうことになります。需要予測上は2年目もゲーム全体の生産能力が追い付いていなかったため、問題にはならない程度でしたが。
1年目の結果、その時点では自社ブランド向けの需要を満たせていないことがわかったため、他のチームは生産能力を高めながら、他のチームとの競争に備えてある程度固い戦略を取ってくるものと思われました。
また、初年度3位だった私のチームの生産能力と品質はそれほど注目を受けていなかったのですが、他のチームから見れば自社ブランド向けの販売を増やして利益の最大化をするだろうと予想するのが当然だと思われました。
つまり、他のチームはある程度の予定調和の中でゲームが進行するだろうという予測の元に戦略を立ててくると思われたのです。
そこで私が着目したのがOEM向けの販売でした。1年目が終わった時点で私のチームの生産能力はOEM生産のほぼ8割を賄える状態だったので、ブランド向けの販売をせず、全ての生産能力をOEM向けに仕向けてしまえば、ほぼOEM市場が独占できることになるわけです。
逆にこのゲームでは一度OEM向けの製品を生産して売れ残った場合、余剰在庫として売れ残ってしまうことと、売り上げ予測の中でのOEM製品販売はほぼ「当たり前に売れて運転資金として使える」と普通であれば考えるため、他のチームがこの市場で製品が売れなかった場合、資金繰りに大打撃を与えることができると予想できました。
2年目、私のチームは会社の利益を追求せずにその時点で世界最高品質の製品全てを、安いが品質が高ければ確実に売れるOEM市場に販売しました。
・・・・・・
2年目のオペレーションの結果、他のチームはOEM市場に向けた製品がほぼすべて余剰在庫として計上され、安定的に入ってくるはずだった運転資金が枯渇し、都合3チームが実際に倒産し(すべて私が倒産寸前になるように調整しましたが)、その他のチームも全て倒産寸前の状態に陥ったのでした。
倒産寸前に陥ったチームは工場の生産能力を含めた資産の見直しを余儀なくされ、自社ブランド製品の品質向上どころではなくなってしまい、逆に確実な売り上げで利益を上げた私のチームはさらに生産能力を向上させることで、3年目は私のチームの生産能力が8つの会社からなる世界のほぼ4割の生産能力を持つにいたったわけです。
授業におけるこのゲームの割合は4割と非常に高く、この時点で私のチームの3人以外はほとんど壊滅状態になってしまったため授業全体が崩壊寸前の状態に陥ってしまいました。
そして都合10年を進行させるこのゲームの内、5年目までに私のチームは単独で世界市場の6割の売り上げを独占することになりました。
当然他のチームの人も私がこのゲームのオペレータを行ってきたことを知ることになり、この授業の担当教授は私をゲームから外さざるを得なくなったわけでした。
結果として、私はこのゲームを行った授業としては初めて、授業途中でグレードAを確約された上でコンサルティングを行うという訳のわからない生徒になったわけでした。
あまり気にしなかったですが、その後の授業での私の位置づけは非常に微妙なものになり(他の人にしてみればほぼチートしていたに等しいわけですから当然ですがwww)、コンサルティングの受託は初めの内はほぼありませんでした。
その内、コンサルティングをさせていただいたチームが話し合いの結果成績を上げていくのを見るのはとても気持ちのいいものだったことも覚えています。
授業は最終的に他の全てのチームが奇跡のV字回復を達成し(ここはさすがに皆MBAを受講しているだけありました)、優秀な成績を収めて終わりました。
ちなみに私のいたチームは最終結果3位に終わりましたwww 常に陽気で楽観的な南米出身者にしては健闘したと思います。
このゲームを通して色々なことを学ぶことになったわけですが、現実社会で評価されることもないのは言うまでもありません。今となってはいい思い出にしかなっておりませんwww
ここまで長いシリーズになってしまいましたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
それまでは私の担当教授が全ての授業を行っていたのですが、私がこの授業を受けようとしていた直前のタイミングで新しい先生が入ってこられて、この先生が私の授業を担当いただけるようになったのは不思議なめぐりあわせだと思います。
授業を受けるようになるまでの1年間の間に、私はこのゲームのほとんど全てをマスターしていましたし、それは他の生徒には公平ではないのではないか?と思っていましたのでゲームに代わる何かをさせてもらえないかとこの新しい先生にお願いしたのですが。。。
「他のチームが何をするのかわからないわけだし、君がゲームに参加するのは問題ないと思う。」
と、聞き入れてもらえませんでした。
それまでの担当教授にも意見を求めましたが、「新しい先生の授業なわけだし、私が意見するのもどうかと思う。。。」と不思議な笑みをたたえながら特に干渉はされませんでした。
いいのかな・・・
と思いつつ、でもまあやらせてくれるというのであればやらざるを得ないわけですし、「後で後悔することになると思うのですが・・・」とかなり強く訴えたのですが結局は授業に取り組むことになりました。
当然このゲームのオペレータも私がすることになったわけで、やらなかったですが不正もし放題なわけなのですが・・・www
授業が開始され、ゲームの世界の一年目、私がチームになったのは南米系の陽気な二人だったのですが、とりあえずゲームの内容を一番把握していた私がある程度戦略について説明しながらしばらくは私がフロッピーを作成することになりました。
現実世界でもある程度同じように言えると思うのですが、やはり何を売るにしても市場を支配するのは品質だと思います。
私の1年目の戦略は借り入れを行って工場の生産能力を3倍程度に高めつつ、品質をそのゲームが取り得る値の最大にまで高めるということでした。
さらに他のチームが行ってくることがわからなかったため売り上げ予測は「辛め」にして設定し、資金繰りが圧迫されないように余裕を持って戦略を立てたのです。
私の予測では、MBAの生徒の集まりなわけですからかなり激烈な競争を想定していたのですが・・・
初年度の結果は8チーム中3位と言う結果に終わりました。
授業の教授は「それ見たことか」とほくそえんでいたのですが、結果の分析を行った私は驚くべき事実を知ることになりました。
ほとんどのチームがほぼ何もしていなかったということです。
確かに初めてのゲームですので、様子を見るというのは当然の戦略とは思うのですが、この時点で私のチームはゲーム世界最大の生産力と、他のチームでは絶対に超えられない品質の高さを持つことになったのです。
ではなぜ1年目の結果が3位になったかというと、このゲームが持っていた「自社ブランドでの売り上げ」と「OEM(ゲーム内の架空の会社のブランド製品受託製造)生産の売り上げ」の内、自社ブランドでの売り上げ市場が「他のチームが何もしなかった故に需要が供給を大きく超え、どのチームが生産したものも売り切れたからです。
つまり、最も楽観的な値段で売ったチームの売り上げ金額が大きく伸びたため、他のチームとの競争を想定した私のチームの売り上げは「もっと高く売れたものをかなり安く売ってしまった」ために利益がそこまで出なかったという結果だったわけです。
この分析の結果、私にわかったことは他のチームはこの時点で品質面でも生産能力面でも競争相手にはなれず、以降、私の思いのままに市場を独占できるようになるということでした。
この授業の担当教授が「ゲームのルールを知り尽くした人間が何をできるか」について思い知ったのはゲームの2年目でした。
説明が難しいのですが、このゲームではOEM生産の市場はある程度「安定した売り上げが見込める」もので、自社ブランドでの売り上げを超過する生産についてはOEM生産で売ることで会社の資金繰りをある程度固い予測の元に計画できるようになっていました。
逆に自社ブランドでの販売は他のチームとの競争が発生するものだったため、全てを自社ブランドで販売すると競争に負けた場合に大きな穴をあけてしまうことになります。需要予測上は2年目もゲーム全体の生産能力が追い付いていなかったため、問題にはならない程度でしたが。
1年目の結果、その時点では自社ブランド向けの需要を満たせていないことがわかったため、他のチームは生産能力を高めながら、他のチームとの競争に備えてある程度固い戦略を取ってくるものと思われました。
また、初年度3位だった私のチームの生産能力と品質はそれほど注目を受けていなかったのですが、他のチームから見れば自社ブランド向けの販売を増やして利益の最大化をするだろうと予想するのが当然だと思われました。
つまり、他のチームはある程度の予定調和の中でゲームが進行するだろうという予測の元に戦略を立ててくると思われたのです。
そこで私が着目したのがOEM向けの販売でした。1年目が終わった時点で私のチームの生産能力はOEM生産のほぼ8割を賄える状態だったので、ブランド向けの販売をせず、全ての生産能力をOEM向けに仕向けてしまえば、ほぼOEM市場が独占できることになるわけです。
逆にこのゲームでは一度OEM向けの製品を生産して売れ残った場合、余剰在庫として売れ残ってしまうことと、売り上げ予測の中でのOEM製品販売はほぼ「当たり前に売れて運転資金として使える」と普通であれば考えるため、他のチームがこの市場で製品が売れなかった場合、資金繰りに大打撃を与えることができると予想できました。
2年目、私のチームは会社の利益を追求せずにその時点で世界最高品質の製品全てを、安いが品質が高ければ確実に売れるOEM市場に販売しました。
・・・・・・
2年目のオペレーションの結果、他のチームはOEM市場に向けた製品がほぼすべて余剰在庫として計上され、安定的に入ってくるはずだった運転資金が枯渇し、都合3チームが実際に倒産し(すべて私が倒産寸前になるように調整しましたが)、その他のチームも全て倒産寸前の状態に陥ったのでした。
倒産寸前に陥ったチームは工場の生産能力を含めた資産の見直しを余儀なくされ、自社ブランド製品の品質向上どころではなくなってしまい、逆に確実な売り上げで利益を上げた私のチームはさらに生産能力を向上させることで、3年目は私のチームの生産能力が8つの会社からなる世界のほぼ4割の生産能力を持つにいたったわけです。
授業におけるこのゲームの割合は4割と非常に高く、この時点で私のチームの3人以外はほとんど壊滅状態になってしまったため授業全体が崩壊寸前の状態に陥ってしまいました。
そして都合10年を進行させるこのゲームの内、5年目までに私のチームは単独で世界市場の6割の売り上げを独占することになりました。
当然他のチームの人も私がこのゲームのオペレータを行ってきたことを知ることになり、この授業の担当教授は私をゲームから外さざるを得なくなったわけでした。
結果として、私はこのゲームを行った授業としては初めて、授業途中でグレードAを確約された上でコンサルティングを行うという訳のわからない生徒になったわけでした。
あまり気にしなかったですが、その後の授業での私の位置づけは非常に微妙なものになり(他の人にしてみればほぼチートしていたに等しいわけですから当然ですがwww)、コンサルティングの受託は初めの内はほぼありませんでした。
その内、コンサルティングをさせていただいたチームが話し合いの結果成績を上げていくのを見るのはとても気持ちのいいものだったことも覚えています。
授業は最終的に他の全てのチームが奇跡のV字回復を達成し(ここはさすがに皆MBAを受講しているだけありました)、優秀な成績を収めて終わりました。
ちなみに私のいたチームは最終結果3位に終わりましたwww 常に陽気で楽観的な南米出身者にしては健闘したと思います。
このゲームを通して色々なことを学ぶことになったわけですが、現実社会で評価されることもないのは言うまでもありません。今となってはいい思い出にしかなっておりませんwww
ここまで長いシリーズになってしまいましたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
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色々なお仕事
2016年12月27日火曜日
バルス( ゚Д゚)< format c: パート1
今回はアメリカ留学中にあった出来事を書いていこうと思います。
MBAのプログラムを受講できるようになった時に、かねてから友人に聞いていたGraduate Assistantship(以下GA:教授の手伝いをして時給20ドルがもらえるバイトみたいなもので、時間制限が一枠週10時間であるものの、時給がとても良いので人気があった)という制度に参加させてもらるよう、MBAの学長みたいな人にお願いしていました。
ある程度成績も安定していたため、色々学長に文句を言われながらも(申請がとても多くて、且つ個別にお願いに来る生徒も多かったみたいです)なんとかGAをさせていただけることが決まり、初日に担当になる先生のところに行った日のことでした。
学長とあいさつに行った時に確か僕は目の前にはいなかったですが、声が聞こえる範囲で学長と担当の先生が言い合っているのが聞こえました。
ざっくりと
「使える奴をよこせって言ったのになんで、留学生を連れてきたんですか、学長?アメリカ人でも難しいポジションなのに留学生ができると思えないのですが?」
こんな感じでした。
いや、もう入る前からこれですか?
なんとか話している内容が聞こえるぐらいでしたし、話し方が速すぎてわからなかったのですがなんとか学長の説得が終わって、学長は「頑張れよ」みたいなことを言って去ってしまい、担当の先生と二人になった時に明らかに不機嫌な感じで先生はこう言い放ちました。
「時間がかかっても構わないけど、このマニュアルを理解してシステムを使いこなせなかったら君は首だ。GA自体はやめなくてもすむかもしれないが、私の下では働いてもらえない。」
いやいや、そこまで言われますか?
渡されたのは「User's Manual」と「Operator's Manual」で、「Operator's Manual」はA4サイズで漫画の単行本ぐらいの厚さ、ぱらっと見た感じでは特殊な用語が5割ぐらいで全く意味がわかりませんでした。
それと、私が自分のPCを買ったのはこの時に先立つ3か月前ぐらいで、ブライドタッチは習得していたもののPC自体は全くと言っていいほど素人でした。
しかし、事前に学長からもGAは他の学生の申請も多くて狭き門だと言われていましたし、ここでやめるわけにはいかない、こっちも生活が懸かってる( ゚Д゚) と「全力を尽くします」と答えました。
今から考えると、他のGAの仕事は仕事時間中に自分の勉強しても良かったり、どちらかと言うと私の先生が特殊だったみたいなんですが、私にとっては本当に幸運な出会いだったと今では思えます。
ただし、この時は完全にビビってしまっていましたがw
実際に仕事を始めてわかったのは、意外とこの先生がかなり詳細に手順を教えてくれて、且つ対応するマニュアルの箇所も同時に示してくれながら後でもわかるようにしてくれたのと、アメリカのマニュアルは最初から順を追って読んでいけば「誰が読んでもわかるように」書かれているので、実際にやってみるとそれほど難しい内容ではありませんでした。
オペレーションは基本的に、学生が提出してきた戦略の入ったフロッピーディスクを一枚一枚データ取り込みし、全部取りこめた段階でゲームの世界を一年進行させて結果をそれぞれのフロッピーディスクに更新して生徒に返す、というものでした。
このゲームは僕にとって今ではなじみの深いエクセルのマクロで作成されていて、本当に大変なのはエラーが起きた時の対応だったのは、開始後しばらくしていくつかの学生のチームが「倒産」してしまってからわかったのですが・・・・
学生の戦略は、基本的には資金をどのような形で利用するか、例えばコスト圧縮にコストをかけるのか、ブランドイメージ向上のためにこれこれの金額で芸能人を雇うとか、品質を高めるためにコストをかけるとかで、さらにそのための資金をどのように都合するか、例えば売り上げで見込むのかとか、借り入れするかとか株式発行するかとか結構細かなことができたのを記憶しています。
それに世界市場動向で世界市場全体の売り上げを操作できて、新聞の株式指標のS&Pとかの切り抜き記事から株価上昇指数とか、先生がこのタイミングで世界恐慌を起こしてターンアラウンド戦略を学ばせたいとかができました。
で、、、エクセルのマクロで結構複雑な仕組みを作ったことがある人ならある程度理解いただけると思いますが、不正な値が入ってしまうと予期せぬ動きをするもので、あるチームが倒産するとそのチームをなんとかして倒産寸前の状態に回復させて存続させるか、倒産させてチームを解散(この場合試験や論文の内容を加味してセメスター途中でF(FailureのFだと教わりました)をつけて以降受講させないかの決断をしないとゲーム自体が続けられなくなっているものでした。
今となってはゲームの選択に無理があったのではないかとも思うのですがwww
当然チームメンバー全員にFをつけるわけにもいかず、教授の立場としてはできるかぎり出席率があからさまに悪いなどの生徒だけ落第させて、チーム自体は存続させ、個々人の努力と成績に応じたグレード(成績)をつけてその授業を終わらせたいわけです。
つまり、倒産するような戦略を選択をしたチームの戦略自体を分析し、そのチームの戦略を倒産寸前の状態まで回復させると同時に、他の頑張っているチーム以上に「勝たせない」ことが必要になってくるということです。
これをするためには、月次で負債の利子支払いを持っていたこのゲームではどのタイミングで不渡りが起こるかを逆算し、不渡りを出さないところまで資金調達を見直し、資金調達を行った理由である投資を縮小させ・・・という高度な会計知識を要求されるわけで、毎週「戦略フロッピー」を提出させていた私の担当教授は私が入るまで、生徒が週末に戦略を立てられるように翌日の金曜日までに一人ですべてをこなしていたということだったのです。
人に教えるためには時に倍以上の努力と教える人数分の時間を必要とするものなのだなぁ・・・と感心しながら、毎週フロッピーが提出される木曜日はこの担当教授と共に阿鼻叫喚地獄をしばらく続けることになりました。
私の運が良かったのは、GAとして仕事を始める直前に、しかもアメリカでの初めての授業で会計学を勉強していたことだったと思います。そのため、かなり新鮮な知識で会計用語を理解して、その知識をフル活用して倒産を回避させるための手法を教授から直接学べたわけです。
ある意味これほどの授業は私が受けたMBAプログラムの中ではなかったと思えるほどでした。
1回目のセメスターが終わるまでにはどのようにすれば倒産しないように調整し、そのチームが失敗から学ぶためにどのように修正を加えるべきかについて教授とディスカッションができるまでになれました。
私はMBAプログラムの終了までの間の2年間このゲームと付き合うことになったのですが、残りの1年半は教授に召喚されて、倒産寸前のチームにコンサルティングに出かけることになりました。とは言ってもめったにないことではありましたが・・・
ある時は通常4~6人のチーム構成のチームが脱落者続出してかわいそうな女の子一人でどうしてよいかわからないという状態に派遣されたこともありました。たかがゲームとは言え、二人っきりで倒産を回避したら付き合う付き合わないは別にして一生の付き合いをする友達にもなれたんじゃないかと思いますが。。。
派遣された女の子も得体のしれない日本人が派遣されたときは面食らったようだったですが、狼の徘徊している森に一人取り残されたリスぐらい震えながらわかりにくい日本語アクセントに文句も言わずに聞き入っていたことを昨日のことのように思い出せます。
ちなみに結構可愛い女の子でした。が、私も自分の授業で忙しかったのでゆっくり話すこともできず・・・(という言い訳をしてみる)
今回はここまでにして、次の記事で続きを書かせていただきます。
MBAのプログラムを受講できるようになった時に、かねてから友人に聞いていたGraduate Assistantship(以下GA:教授の手伝いをして時給20ドルがもらえるバイトみたいなもので、時間制限が一枠週10時間であるものの、時給がとても良いので人気があった)という制度に参加させてもらるよう、MBAの学長みたいな人にお願いしていました。
ある程度成績も安定していたため、色々学長に文句を言われながらも(申請がとても多くて、且つ個別にお願いに来る生徒も多かったみたいです)なんとかGAをさせていただけることが決まり、初日に担当になる先生のところに行った日のことでした。
学長とあいさつに行った時に確か僕は目の前にはいなかったですが、声が聞こえる範囲で学長と担当の先生が言い合っているのが聞こえました。
ざっくりと
「使える奴をよこせって言ったのになんで、留学生を連れてきたんですか、学長?アメリカ人でも難しいポジションなのに留学生ができると思えないのですが?」
こんな感じでした。
いや、もう入る前からこれですか?
なんとか話している内容が聞こえるぐらいでしたし、話し方が速すぎてわからなかったのですがなんとか学長の説得が終わって、学長は「頑張れよ」みたいなことを言って去ってしまい、担当の先生と二人になった時に明らかに不機嫌な感じで先生はこう言い放ちました。
「時間がかかっても構わないけど、このマニュアルを理解してシステムを使いこなせなかったら君は首だ。GA自体はやめなくてもすむかもしれないが、私の下では働いてもらえない。」
いやいや、そこまで言われますか?
渡されたのは「User's Manual」と「Operator's Manual」で、「Operator's Manual」はA4サイズで漫画の単行本ぐらいの厚さ、ぱらっと見た感じでは特殊な用語が5割ぐらいで全く意味がわかりませんでした。
それと、私が自分のPCを買ったのはこの時に先立つ3か月前ぐらいで、ブライドタッチは習得していたもののPC自体は全くと言っていいほど素人でした。
しかし、事前に学長からもGAは他の学生の申請も多くて狭き門だと言われていましたし、ここでやめるわけにはいかない、こっちも生活が懸かってる( ゚Д゚) と「全力を尽くします」と答えました。
今から考えると、他のGAの仕事は仕事時間中に自分の勉強しても良かったり、どちらかと言うと私の先生が特殊だったみたいなんですが、私にとっては本当に幸運な出会いだったと今では思えます。
ただし、この時は完全にビビってしまっていましたがw
実際に仕事を始めてわかったのは、意外とこの先生がかなり詳細に手順を教えてくれて、且つ対応するマニュアルの箇所も同時に示してくれながら後でもわかるようにしてくれたのと、アメリカのマニュアルは最初から順を追って読んでいけば「誰が読んでもわかるように」書かれているので、実際にやってみるとそれほど難しい内容ではありませんでした。
オペレーションは基本的に、学生が提出してきた戦略の入ったフロッピーディスクを一枚一枚データ取り込みし、全部取りこめた段階でゲームの世界を一年進行させて結果をそれぞれのフロッピーディスクに更新して生徒に返す、というものでした。
このゲームは僕にとって今ではなじみの深いエクセルのマクロで作成されていて、本当に大変なのはエラーが起きた時の対応だったのは、開始後しばらくしていくつかの学生のチームが「倒産」してしまってからわかったのですが・・・・
学生の戦略は、基本的には資金をどのような形で利用するか、例えばコスト圧縮にコストをかけるのか、ブランドイメージ向上のためにこれこれの金額で芸能人を雇うとか、品質を高めるためにコストをかけるとかで、さらにそのための資金をどのように都合するか、例えば売り上げで見込むのかとか、借り入れするかとか株式発行するかとか結構細かなことができたのを記憶しています。
それに世界市場動向で世界市場全体の売り上げを操作できて、新聞の株式指標のS&Pとかの切り抜き記事から株価上昇指数とか、先生がこのタイミングで世界恐慌を起こしてターンアラウンド戦略を学ばせたいとかができました。
で、、、エクセルのマクロで結構複雑な仕組みを作ったことがある人ならある程度理解いただけると思いますが、不正な値が入ってしまうと予期せぬ動きをするもので、あるチームが倒産するとそのチームをなんとかして倒産寸前の状態に回復させて存続させるか、倒産させてチームを解散(この場合試験や論文の内容を加味してセメスター途中でF(FailureのFだと教わりました)をつけて以降受講させないかの決断をしないとゲーム自体が続けられなくなっているものでした。
今となってはゲームの選択に無理があったのではないかとも思うのですがwww
当然チームメンバー全員にFをつけるわけにもいかず、教授の立場としてはできるかぎり出席率があからさまに悪いなどの生徒だけ落第させて、チーム自体は存続させ、個々人の努力と成績に応じたグレード(成績)をつけてその授業を終わらせたいわけです。
つまり、倒産するような戦略を選択をしたチームの戦略自体を分析し、そのチームの戦略を倒産寸前の状態まで回復させると同時に、他の頑張っているチーム以上に「勝たせない」ことが必要になってくるということです。
これをするためには、月次で負債の利子支払いを持っていたこのゲームではどのタイミングで不渡りが起こるかを逆算し、不渡りを出さないところまで資金調達を見直し、資金調達を行った理由である投資を縮小させ・・・という高度な会計知識を要求されるわけで、毎週「戦略フロッピー」を提出させていた私の担当教授は私が入るまで、生徒が週末に戦略を立てられるように翌日の金曜日までに一人ですべてをこなしていたということだったのです。
人に教えるためには時に倍以上の努力と教える人数分の時間を必要とするものなのだなぁ・・・と感心しながら、毎週フロッピーが提出される木曜日はこの担当教授と共に阿鼻叫喚地獄をしばらく続けることになりました。
私の運が良かったのは、GAとして仕事を始める直前に、しかもアメリカでの初めての授業で会計学を勉強していたことだったと思います。そのため、かなり新鮮な知識で会計用語を理解して、その知識をフル活用して倒産を回避させるための手法を教授から直接学べたわけです。
ある意味これほどの授業は私が受けたMBAプログラムの中ではなかったと思えるほどでした。
1回目のセメスターが終わるまでにはどのようにすれば倒産しないように調整し、そのチームが失敗から学ぶためにどのように修正を加えるべきかについて教授とディスカッションができるまでになれました。
私はMBAプログラムの終了までの間の2年間このゲームと付き合うことになったのですが、残りの1年半は教授に召喚されて、倒産寸前のチームにコンサルティングに出かけることになりました。とは言ってもめったにないことではありましたが・・・
ある時は通常4~6人のチーム構成のチームが脱落者続出してかわいそうな女の子一人でどうしてよいかわからないという状態に派遣されたこともありました。たかがゲームとは言え、二人っきりで倒産を回避したら付き合う付き合わないは別にして一生の付き合いをする友達にもなれたんじゃないかと思いますが。。。
派遣された女の子も得体のしれない日本人が派遣されたときは面食らったようだったですが、狼の徘徊している森に一人取り残されたリスぐらい震えながらわかりにくい日本語アクセントに文句も言わずに聞き入っていたことを昨日のことのように思い出せます。
ちなみに結構可愛い女の子でした。が、私も自分の授業で忙しかったのでゆっくり話すこともできず・・・(という言い訳をしてみる)
今回はここまでにして、次の記事で続きを書かせていただきます。
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色々なお仕事
バルス( ゚Д゚)< format c: パート2
このシリーズの前回の記事はこちら
毎週木曜日になると提出されたフロッピーでシステム更新を続ける毎日を送りながら授業を受けるということを続けていたのですが、その頃になると仕事も多くなっていたので自宅のPCにこのゲームのオペレータープログラムをインストールして夜遅くなった時は自宅で作業をすることも多くなってきた頃のことでした。
疲れてビールかウィスキーを飲みながら作業をしていたのだと記憶していますが、PCのディスプレイに花火が上がってあまりの訳のわからなさにそのまま寝てしまったことがありました。
おそらく提出されたフロッピーの中に「happy99.exe」に感染したものがあったのだと思われます。
翌日早朝に出勤して職場のPCでなんとかその週を終わらせたのですが、帰って勉強しようにもPCがうまく動かず・・・
その頃には大学生の友達が何人かいて、電話して聞きまわったのですがPCは治らず・・・
八方ふさがりの状態で、今は米国陸軍で将校をしている友達に言われたのが題名のコマンドでした。
「format c:」
当時Windows98を使っていたのですが、意外とOSからコマンドプロンプトだけで起動して、上のコマンドが成功したのですが・・・
PCは真っ黒い画面に「No bootable disk found」みたいな意味不明な言葉を繰り返す箱と化したのでしたw
今思い返せば「format c:」と言うコマンドが何を意味するかは火を見るより明らかなのですが、当時PCがどのように動くかなど考えたこともない僕が行ったこととしては無謀なのはPCのインストールをしたことがある人ならすぐわかることだと思います。
「Dude, you just need to slip in the recovery disk. That'll settle all things down alright」
(意訳: リカバリーディスク入れたらすぐ直るっしょ?それだけで問題解決やん」
僕のPCは地元の小さなPC工場で性能を指定して作ってもらった製品だったため、リカバリディスクみたいな大手のPCメーカが作ってくれるようなものは何もありませんでした。
代わりに地元のPC工場がPCと一緒に梱包してくれてたのは、文明文字が一切記載されていないCDとフロッピーディスク、それからマザーボードのマニュアルとWindows98のオペレーティングシステムディスクでした。
それからの3日間、Windowsのインストールマニュアルと格闘し、インストールが終わったらEthernetアダプタのドライバがないと怒られ、名前が書いてないCDとかフロッピーを入れながら要求されているドライバがなんなのかもわからず・・・
インストール直後に問われる必要なドライバがいつも変わってどれを入れていいかわからない僕は、「ではハードウェアを一回に一個入れたらいいのではないか?」と思い、思いつく限りのコンポーネントを外して一個ずつ、どの形をしたパーツ(その時はネットワークアダプタとフロッピーディスクの違いが判らないレベルで無知でした。今思えば笑えないレベルでw)にどのCDとかフロッピーディスクが適合するかを確認し、一つ一つ書き留めて突き止めました。
3日間、徹夜してまともに動き出したPCは、まったく新しく生まれ変わったPCというか相棒のようにキラキラ輝いているものに思えました。
半年後、別のウィルスに感染して、今度は1日で復旧したPCは、「いつもと変わらない姿」でそこにいたのは皮肉というか今でもそんなもんかって感じですがwww
それまで書いた論文はすべてまっさらになっていましたが・・・
一つ一つ、魂を込めたつもりで書いた論文は、今思えば全くのタワゴトだったように思います。死ぬほど調べて頑張った論文も、結局は努力した事実だけが意味を持つのだなぁ・・・と今となっては思えます。
思えばこの時、PCを何もわからないところから組みなおした経験が今の僕の根本を作ってくれたんだと思います。
お金もなく、PCを買いなおすこともできず、相談すべき人もいなかった僕が10万そこそこのPCをなんとか使える状態にするのが、今思えばなんということもない作業ですが、本当に貴重な体験だったんだと思えます。
ちょっと本題から外れますが、職場のPCは感染せずに私のPCだけに感染したのは私のPCがセキュリティソフトを敢えて外していたことが理由です。
セキュリティソフトを外していた理由は、その頃友達とやっていた「Age of Empire」というゲームのネット対戦がセキュリティソフトを入れているとどうしてもできなかったからなのですが、このころの経験からセキュリティソフトの有無に関わらず、大切なデータは可能な限りシステムパーティションから離れたところに格納し、二重化して別々の場所に保存するようにしています。
これは、前提として、セキュリティソフトで完全に感染を防ぐことは不可能だと考えているからです。まして自分の会社が出している広告をウィルスと検知してしまうようなおバカな大手セキュリティ会社がいる時点で全く信用できないわけですし、時にバージョンアップでブルーバックのストップエラーを出すようなセキュリティソフトもある以上、大手セキュリティ会社を完全に信用してシステムを運用するなど僕の考えでは全く受け入れられないです。
PCを復旧している間、授業はいつものようにこなし(この時点でPCはなくても普段の生活は絶対に過ごせる自信を持ったんですが)、仕事道具のPCが治り、治ったからと言って誰もほめてくれるわけでなく、いつもの生活に戻ったわけでした。
そんな夢中で仕事と勉強をしていた毎日を過ごしていたある日、担当の教授に呼び出されました。
普段の厳しい態度の教授から想像して何か最悪な事態(なにかやらかして首を切られるとか・・・)を想像していた私に、教授は一枚の紙を見せ、
「これは君のGAとしての評価表で、学長に提出して君の働きぶりを報告するものだ。」
と説明してくれました。そしてその場で、なんと私のいる目の前で評価を始めたのです。
評価内容:「言われた仕事を忠実にこなすことができるか・・・?」
評価: Excellent(5段階評価で5)
・・・・・・・・・
評価内容:「あなた(教授)の役に立っているか・・・?」
評価: Excellent
全てに最良の評価をつけてくれた教授は、丁寧に私の前で封緘し、私のいる目の前で秘書の女性に手渡しで学長に渡すようにお願いしてくれたのでした。
生きているといろんなところでいろんな評価を受けるものだと思います。そんな色んな評価の中で、私の人生の中で、これ以上の評価をしていただいたのは、ユーザさんに「助かりました。ありがとう」と言われた以外ではなかったと思います。
そしてその評価の最後に、「アメリカ人も含め、君ほどの優秀なGAは今までの経験でいなかった・・・」とまで言っていただけました。
今この記事を書いてるこの瞬間、教授がおっしゃった言葉は長く忘れていたことですが私の人生で3位以内に入る「私が感動した言葉」だったと思います。
教授はとても厳格な方だったので、この時初めて普段疑問に思っていたことを質問させていただける機会にもなりました。
いつも、教授の部屋の壁にかかっている、ただの小麦粉の袋を額縁にかけているものについて疑問に思っていたのですが、その時初めて質問させていただけました。
私: 「先生、いつも疑問に思っていて聞けなかったのですが、先生はなんの変哲もない袋をあそこの壁にかけておいでですよね?」
教授: 「その質問をしてくれる人がいつか来てくれることを今まで待って、この袋をここに飾ってたんだよ。君が初めてその質問をしてくれる人になったわけだが、よく気づいてくれた。この袋は私のひいおじいさんが、彼の経営していた袋工場で作成していた袋なんだよ。当時、私のひいおじいさんはこの袋を1つ作るごとに数セントを稼ぐ仕事をしていたんだ。これはお金を稼ぐということが、地道で大変なことなのだと言う戒めの意味で掛けているものなのだよ。」
この時の沈黙の時間は、言葉で埋めなければならない何かではなく、教授と僕の間を不思議と埋めてくれる何かだったように感じました。
考えてみれば、大学時代の授業って特に印象にも残らないものだと思いますし、教授もそのことを重々承知していたと思います。
その上で、学生が過ごすその時間をただ単なる「時間」と捉えず、かけがえのない一瞬だと認識した上で「一切の妥協を自分に許さずに生徒に向き合う」姿勢を貫き通した私の担当教授は我々日本人の思い描く「Professor」そのものだったと思います。
そして、小麦粉の袋を作るという地味な作業の継続が生活を支える糧となりうることを教えていただいた唯一の先生でした。
実はこのGAの仕事はこれだけに終わらないので、次の記事で続きを書かせていただこうと思います。
毎週木曜日になると提出されたフロッピーでシステム更新を続ける毎日を送りながら授業を受けるということを続けていたのですが、その頃になると仕事も多くなっていたので自宅のPCにこのゲームのオペレータープログラムをインストールして夜遅くなった時は自宅で作業をすることも多くなってきた頃のことでした。
疲れてビールかウィスキーを飲みながら作業をしていたのだと記憶していますが、PCのディスプレイに花火が上がってあまりの訳のわからなさにそのまま寝てしまったことがありました。
おそらく提出されたフロッピーの中に「happy99.exe」に感染したものがあったのだと思われます。
翌日早朝に出勤して職場のPCでなんとかその週を終わらせたのですが、帰って勉強しようにもPCがうまく動かず・・・
その頃には大学生の友達が何人かいて、電話して聞きまわったのですがPCは治らず・・・
八方ふさがりの状態で、今は米国陸軍で将校をしている友達に言われたのが題名のコマンドでした。
「format c:」
当時Windows98を使っていたのですが、意外とOSからコマンドプロンプトだけで起動して、上のコマンドが成功したのですが・・・
PCは真っ黒い画面に「No bootable disk found」みたいな意味不明な言葉を繰り返す箱と化したのでしたw
今思い返せば「format c:」と言うコマンドが何を意味するかは火を見るより明らかなのですが、当時PCがどのように動くかなど考えたこともない僕が行ったこととしては無謀なのはPCのインストールをしたことがある人ならすぐわかることだと思います。
「Dude, you just need to slip in the recovery disk. That'll settle all things down alright」
(意訳: リカバリーディスク入れたらすぐ直るっしょ?それだけで問題解決やん」
僕のPCは地元の小さなPC工場で性能を指定して作ってもらった製品だったため、リカバリディスクみたいな大手のPCメーカが作ってくれるようなものは何もありませんでした。
代わりに地元のPC工場がPCと一緒に梱包してくれてたのは、文明文字が一切記載されていないCDとフロッピーディスク、それからマザーボードのマニュアルとWindows98のオペレーティングシステムディスクでした。
それからの3日間、Windowsのインストールマニュアルと格闘し、インストールが終わったらEthernetアダプタのドライバがないと怒られ、名前が書いてないCDとかフロッピーを入れながら要求されているドライバがなんなのかもわからず・・・
インストール直後に問われる必要なドライバがいつも変わってどれを入れていいかわからない僕は、「ではハードウェアを一回に一個入れたらいいのではないか?」と思い、思いつく限りのコンポーネントを外して一個ずつ、どの形をしたパーツ(その時はネットワークアダプタとフロッピーディスクの違いが判らないレベルで無知でした。今思えば笑えないレベルでw)にどのCDとかフロッピーディスクが適合するかを確認し、一つ一つ書き留めて突き止めました。
3日間、徹夜してまともに動き出したPCは、まったく新しく生まれ変わったPCというか相棒のようにキラキラ輝いているものに思えました。
半年後、別のウィルスに感染して、今度は1日で復旧したPCは、「いつもと変わらない姿」でそこにいたのは皮肉というか今でもそんなもんかって感じですがwww
それまで書いた論文はすべてまっさらになっていましたが・・・
一つ一つ、魂を込めたつもりで書いた論文は、今思えば全くのタワゴトだったように思います。死ぬほど調べて頑張った論文も、結局は努力した事実だけが意味を持つのだなぁ・・・と今となっては思えます。
思えばこの時、PCを何もわからないところから組みなおした経験が今の僕の根本を作ってくれたんだと思います。
お金もなく、PCを買いなおすこともできず、相談すべき人もいなかった僕が10万そこそこのPCをなんとか使える状態にするのが、今思えばなんということもない作業ですが、本当に貴重な体験だったんだと思えます。
ちょっと本題から外れますが、職場のPCは感染せずに私のPCだけに感染したのは私のPCがセキュリティソフトを敢えて外していたことが理由です。
セキュリティソフトを外していた理由は、その頃友達とやっていた「Age of Empire」というゲームのネット対戦がセキュリティソフトを入れているとどうしてもできなかったからなのですが、このころの経験からセキュリティソフトの有無に関わらず、大切なデータは可能な限りシステムパーティションから離れたところに格納し、二重化して別々の場所に保存するようにしています。
これは、前提として、セキュリティソフトで完全に感染を防ぐことは不可能だと考えているからです。まして自分の会社が出している広告をウィルスと検知してしまうようなおバカな大手セキュリティ会社がいる時点で全く信用できないわけですし、時にバージョンアップでブルーバックのストップエラーを出すようなセキュリティソフトもある以上、大手セキュリティ会社を完全に信用してシステムを運用するなど僕の考えでは全く受け入れられないです。
PCを復旧している間、授業はいつものようにこなし(この時点でPCはなくても普段の生活は絶対に過ごせる自信を持ったんですが)、仕事道具のPCが治り、治ったからと言って誰もほめてくれるわけでなく、いつもの生活に戻ったわけでした。
そんな夢中で仕事と勉強をしていた毎日を過ごしていたある日、担当の教授に呼び出されました。
普段の厳しい態度の教授から想像して何か最悪な事態(なにかやらかして首を切られるとか・・・)を想像していた私に、教授は一枚の紙を見せ、
「これは君のGAとしての評価表で、学長に提出して君の働きぶりを報告するものだ。」
と説明してくれました。そしてその場で、なんと私のいる目の前で評価を始めたのです。
評価内容:「言われた仕事を忠実にこなすことができるか・・・?」
評価: Excellent(5段階評価で5)
・・・・・・・・・
評価内容:「あなた(教授)の役に立っているか・・・?」
評価: Excellent
全てに最良の評価をつけてくれた教授は、丁寧に私の前で封緘し、私のいる目の前で秘書の女性に手渡しで学長に渡すようにお願いしてくれたのでした。
生きているといろんなところでいろんな評価を受けるものだと思います。そんな色んな評価の中で、私の人生の中で、これ以上の評価をしていただいたのは、ユーザさんに「助かりました。ありがとう」と言われた以外ではなかったと思います。
そしてその評価の最後に、「アメリカ人も含め、君ほどの優秀なGAは今までの経験でいなかった・・・」とまで言っていただけました。
今この記事を書いてるこの瞬間、教授がおっしゃった言葉は長く忘れていたことですが私の人生で3位以内に入る「私が感動した言葉」だったと思います。
教授はとても厳格な方だったので、この時初めて普段疑問に思っていたことを質問させていただける機会にもなりました。
いつも、教授の部屋の壁にかかっている、ただの小麦粉の袋を額縁にかけているものについて疑問に思っていたのですが、その時初めて質問させていただけました。
私: 「先生、いつも疑問に思っていて聞けなかったのですが、先生はなんの変哲もない袋をあそこの壁にかけておいでですよね?」
教授: 「その質問をしてくれる人がいつか来てくれることを今まで待って、この袋をここに飾ってたんだよ。君が初めてその質問をしてくれる人になったわけだが、よく気づいてくれた。この袋は私のひいおじいさんが、彼の経営していた袋工場で作成していた袋なんだよ。当時、私のひいおじいさんはこの袋を1つ作るごとに数セントを稼ぐ仕事をしていたんだ。これはお金を稼ぐということが、地道で大変なことなのだと言う戒めの意味で掛けているものなのだよ。」
この時の沈黙の時間は、言葉で埋めなければならない何かではなく、教授と僕の間を不思議と埋めてくれる何かだったように感じました。
考えてみれば、大学時代の授業って特に印象にも残らないものだと思いますし、教授もそのことを重々承知していたと思います。
その上で、学生が過ごすその時間をただ単なる「時間」と捉えず、かけがえのない一瞬だと認識した上で「一切の妥協を自分に許さずに生徒に向き合う」姿勢を貫き通した私の担当教授は我々日本人の思い描く「Professor」そのものだったと思います。
そして、小麦粉の袋を作るという地味な作業の継続が生活を支える糧となりうることを教えていただいた唯一の先生でした。
実はこのGAの仕事はこれだけに終わらないので、次の記事で続きを書かせていただこうと思います。
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色々なお仕事
2016年12月26日月曜日
逆ポーランド表記法
平成28年秋季 問03. 逆ポーランド表記法
問題文「逆ポーランド表記法で表された式を評価する場合、途中の結果を格納するためのスタックを用意し、式の甲や演算子を左から右に順に入力し処理する。スタックが図の状態の時、入力が演算子となった。この時に行われる処理はどれか。ここで演算は中置表記法で記述するものとする。」
ここで問題文にある逆ポーランド表記法その他の記述方式は以下の通り(Wikipediaより):
☆逆ポーランド表記法(後置法): 二つの演算の対象の後ろに演算子(+など)をつけて表記する
※1+2 ⇒ 12+ と表記される
※X=1+2 ⇒ X12+= と表記される
☆中置法: 通常の演算と同様に、演算の対象の間に演算子をつけて表記する。
※1+2 ⇒ 1+2
※X=1+2 ⇒ X=1+2
☆ポーランド表記法(前置法): 演算の対象の前に演算子をつけて表記する。
※1+2 ⇒ +12
※X=1+2 ⇒ =X+12???(ポーランド表記法については具体例が見つからず。。。
問題文以降出現するものが全て演算子だったと仮定し、「+、-、=」で入力されたとすると:
逆ポーランド表記法では「CD+」となり、これを中置法で記述すると「C+D」つまり「C演算子D」が答えとなる。
続いて「C+D」の結果がスタックに積まれ、その後に「-」が入力されるので:
逆ポーランド表記法では「B結果-」となり、中置法で記述すると「B-結果」となる。
さらに続いて「B-結果」の結果(便宜上「結果2」とする)がスタックに積まれ、「=」が入力されて:
逆ポーランド表記法では「A結果2=」となり、中置法では「A=結果2」となる。
最後に「=」が入力されて完結するため、全体を逆ポーランド表記法で表記すると:
ABCD+-=
となる???
これをさらに中置法で変換すると
A=B-(C+D)
逆にもっと複雑な式を考えてみると
A=(B+C)*(D+E) は逆ポーランド表記法でいくと
ABC+DE+*=
これを順にスタックに積むと
Cまで入った順でBC+が行われ結果1がスタックに積まれる。さらにDEがスタックに積まれてDE+が行われて結果2がスタックに積まれる。
さらに演算子「*」が入力され、スタックに残っている結果1と結果2が結果1結果2*で算出され、その結果3がスタックに積まれ、最後に入力される「=」で「A結果3=」が行われて結果3がAに代入される。
文章を中置法に置き換えると
(B+C)*(C+D)の結果がAに代入される ⇒ A=(B+C)*(C+D) となるので考え方としてはあってそうである。
ここで何故ポーランド表記法ではなく、逆ポーランド表記法ばかりが注目されるのか?という疑問と何故スタックと一対になって問題になったのか?という疑問が出てきて色々考えてみたところ、実際のメモリの使い方として利用されることが多いからか?と想像してみた。
メモリの使われ方がある基準点からどれだけ移動しながら使用するか?ということに着目した場合、逆ポーランド表記法の場合は一つ一つの演算対象と演算子の動きとメモリの利用状況が非常にわかりやすくなるからだと想像したのだ。
具体的に言うと
中置法: A=(B+C)*(D+E)
逆ポーランド表記法: ABC+DE+*=
これをメモリのスタックの状態遷移で考えてみるとわかりやすいかもしれない?
ABC+DE+*=
これを1ステップずつ考えてみる。ちなみにメモリのスタックは下に積まれる(メモリの基準点の先頭位置が一番上で、次の値が入った場合に基準点から1つずれたところに二つ目が入る)
1. A入力
Aは演算対象(オペランド)なので、メモリに記憶される:
*****メモリ*****
A
*****以 上*****
2. B入力
オペランドでメモリに記憶
*****メモリ*****
A
B
*****以 上*****
*****メモリ*****
A
B
C
*****以 上*****
A
X
D
*****以 上*****
問題文「逆ポーランド表記法で表された式を評価する場合、途中の結果を格納するためのスタックを用意し、式の甲や演算子を左から右に順に入力し処理する。スタックが図の状態の時、入力が演算子となった。この時に行われる処理はどれか。ここで演算は中置表記法で記述するものとする。」
ここで問題文にある逆ポーランド表記法その他の記述方式は以下の通り(Wikipediaより):
☆逆ポーランド表記法(後置法): 二つの演算の対象の後ろに演算子(+など)をつけて表記する
※1+2 ⇒ 12+ と表記される
※X=1+2 ⇒ X12+= と表記される
☆中置法: 通常の演算と同様に、演算の対象の間に演算子をつけて表記する。
※1+2 ⇒ 1+2
※X=1+2 ⇒ X=1+2
☆ポーランド表記法(前置法): 演算の対象の前に演算子をつけて表記する。
※1+2 ⇒ +12
※X=1+2 ⇒ =X+12???(ポーランド表記法については具体例が見つからず。。。
問題文以降出現するものが全て演算子だったと仮定し、「+、-、=」で入力されたとすると:
逆ポーランド表記法では「CD+」となり、これを中置法で記述すると「C+D」つまり「C演算子D」が答えとなる。
続いて「C+D」の結果がスタックに積まれ、その後に「-」が入力されるので:
逆ポーランド表記法では「B結果-」となり、中置法で記述すると「B-結果」となる。
さらに続いて「B-結果」の結果(便宜上「結果2」とする)がスタックに積まれ、「=」が入力されて:
逆ポーランド表記法では「A結果2=」となり、中置法では「A=結果2」となる。
最後に「=」が入力されて完結するため、全体を逆ポーランド表記法で表記すると:
ABCD+-=
となる???
これをさらに中置法で変換すると
A=B-(C+D)
逆にもっと複雑な式を考えてみると
A=(B+C)*(D+E) は逆ポーランド表記法でいくと
ABC+DE+*=
これを順にスタックに積むと
Cまで入った順でBC+が行われ結果1がスタックに積まれる。さらにDEがスタックに積まれてDE+が行われて結果2がスタックに積まれる。
さらに演算子「*」が入力され、スタックに残っている結果1と結果2が結果1結果2*で算出され、その結果3がスタックに積まれ、最後に入力される「=」で「A結果3=」が行われて結果3がAに代入される。
文章を中置法に置き換えると
(B+C)*(C+D)の結果がAに代入される ⇒ A=(B+C)*(C+D) となるので考え方としてはあってそうである。
ここで何故ポーランド表記法ではなく、逆ポーランド表記法ばかりが注目されるのか?という疑問と何故スタックと一対になって問題になったのか?という疑問が出てきて色々考えてみたところ、実際のメモリの使い方として利用されることが多いからか?と想像してみた。
メモリの使われ方がある基準点からどれだけ移動しながら使用するか?ということに着目した場合、逆ポーランド表記法の場合は一つ一つの演算対象と演算子の動きとメモリの利用状況が非常にわかりやすくなるからだと想像したのだ。
具体的に言うと
中置法: A=(B+C)*(D+E)
逆ポーランド表記法: ABC+DE+*=
これをメモリのスタックの状態遷移で考えてみるとわかりやすいかもしれない?
ABC+DE+*=
これを1ステップずつ考えてみる。ちなみにメモリのスタックは下に積まれる(メモリの基準点の先頭位置が一番上で、次の値が入った場合に基準点から1つずれたところに二つ目が入る)
1. A入力
Aは演算対象(オペランド)なので、メモリに記憶される:
*****メモリ*****
A
*****以 上*****
2. B入力
オペランドでメモリに記憶
*****メモリ*****
A
B
*****以 上*****
3. C入力
オペランドでメモリに記憶*****メモリ*****
A
B
C
*****以 上*****
4. +入力
演算子(オペレータ)なので演算処理、2つ前のオペランドと1つ前のオペランドをオペレータに従って計算し、結果Xをメモリに格納
*****メモリ*****
A
X
*****以 上*****
A
X
*****以 上*****
5. D入力
オペランドなのでメモリに格納
*****メモリ*****A
X
D
*****以 上*****
6. E入力
オペランドなのでメモリに格納
*****メモリ*****
A
X
D
E
*****以 上*****
A
X
D
E
*****以 上*****
7. +入力
オペレータなので演算処理を2つ前と1つ前のオペランドに行い、結果Yをメモリに格納
*****メモリ*****
A
X
Y
*****以 上*****
8. *入力
オペレータなので演算処理を2つ前と1つ前のオペランドに行い、結果Zをメモリに格納
A
X
Y
*****以 上*****
8. *入力
オペレータなので演算処理を2つ前と1つ前のオペランドに行い、結果Zをメモリに格納
*****メモリ*****
A
Z
*****以 上*****
A
Z
*****以 上*****
9. =入力
オペレータの演算処理として、2つ前の値に1つ前の値を代入する。
*****メモリ*****
Z
*****以 上*****
Z
*****以 上*****
結果としてオペレータ(=)までの算出結果をAに代入して演算を終わるため、増えたり減ったりしながらメモリの使用量を最小限に抑えつつ、コンピュータが理解しやすいように一つ一つの作業が簡潔に伝えられるからなのではないか?
この点についてはより深い勉強が必要だけど、とりあえずこんな感じで覚えてみた。
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応用情報処理技術者試験
勉強中( ゚Д゚) 応用情報処理午前 平成28年秋季
前回、応用情報処理リベンジ試験を決めたので、12月21日から勉強を始めました。
ある程度自分の中で流れがつかめてきたので、状況を随時更新しながら進めていきます。
ブログ記事の先頭が「勉強中( ゚Д゚)」となっているものは今現在着手している過去問題で、「更新終了(*´▽`*)」となったら、次の試験に着手しているという約束事で動いていきたいと思います。
応用情報技術者試験ドットコム様の平成28年秋季試験を使って自習をします。
問の右側に書いている記号は以下のような意味を持たせています。
*************************
◎理解して正解した問題
○正解したが完全には理解していない問題
△不正解だったが、内容は理解している問題
×不正解で、理解していない問題
2016/12/21
問01. ◎
問02. ◎
問03. × 逆ポーランド表記法
問04. ○ 有限オートマトン
問05. × データ構造B木
問06. × ソート方法(ヒープソート)
問07. ◎
2016/12/22
問08. ◎
問09. × アドレス指定方式
問10. × メモリインタリーブ
問11. ○ VLIW (Very Long Instruction word)
問12. △
問13. × 仮想サーバの冗長化設計
問14. ◎
2016/12/23
問15. × MIPS
問16. ○ ガーベジコレクション、その他メモリ配置
問17. × CPUの遊休時間
問18. ◎
問19. × ラウンドロビン方式
問20. ◎
問21. ◎
2016/12/24
問22. × 標本化周波数
問23. ○ 論理回路
問24. ◎
問25. × SMIL他
問26. ◎ ANSI/SPARC3層スキーマ
問27. ○ B+木インデックス
問28. ◎
2016/12/28
問29. ○ SQL文
問30. ◎
問31. ◎
問32. ○ ネットワークプロトコル
問33. ○ アドレスクラス
問34. × NAPT、IPスプーフィング、IPマルチキャスト、NTP
問35. × SOAP、CORBA、DCOM、SIP
2016/12/29
問36. × IPv6拡張ヘッダ
問37. × OP25B
問38. ○ チャレンジレスポンス方式
問40. × AES、PKI、RSA、SHA-256
問41. ○ リスクベース認証、RADIUS認証、二要素認証
問42. ○ 非接触型・接触型ICカード
問43. ○ ハイブリッド暗号方式
2016/12/31
問43. × SPF (Sender Policy Framework)
問44. ○ Security Information and Event Management、バインド機構、リバースプロキシサーバ
問45. × セキュリティ技術評価、ファジング他
問46. ○ ユースケース図他、UML、ソフトウェア要件定義
問47. ○ ソフトウェア方式設計・詳細設計? Javaのクラス定義他
47/45
一個ずれとる・・・
2017/1/1
問48. ◎
問49. ○ ソースコード変更波及解析、リファクタリング
問50. ◎
問51. ◎
問52. × 復習かねて、クリティカルパス
52/50
問題が文系に近くなってきた気がする・・・
2017/1/2
問53. ◎
問54. × PMBOKのリスク戦略
問55. ◎
問56. ◎
問57. ◎
問58. △
問59. ◎
59/55
この当たりになってくるとある程度確実に取れるようになってくるようだ・・・
2017/1/3
問60. ◎
問61. × SOA (Service Oriented Architecture)
問62. × バランススコアカード
問63. ○ OLAP
問64. ◎
64/60
SOAは前回試験時に勉強して忘れていた。バランススコアカードはMBAの人事の項目で勉強したことと少し違う様子・・・
2017/1/4
問65. × ソフトウェア製品の品質:非機能要件
問66. × 調達計画、実施における準委任契約と請負契約
問67. ◎
問68. × アンゾフの成長マトリクス
問69. ◎
69/65
マネジメント系がずたぼろな件・・・
2017/1/7
問70. × 死の谷
問71. △
問72. × クラウドソーシング
問73. ◎
問74. ◎
問75. ○ 故障率曲線
75/70
えらい数の調査件数に圧倒されるw
2017/1/8
問76. △
問77. ◎
問78. × 産業財産権
問79. × 特定個人情報の適正な取り扱いに関するガイドライン
問80. ○ 集団思考(グループシンク)
80/75
結構法令系は弱いことが判明orz
ある程度自分の中で流れがつかめてきたので、状況を随時更新しながら進めていきます。
ブログ記事の先頭が「勉強中( ゚Д゚)」となっているものは今現在着手している過去問題で、「更新終了(*´▽`*)」となったら、次の試験に着手しているという約束事で動いていきたいと思います。
応用情報技術者試験ドットコム様の平成28年秋季試験を使って自習をします。
問の右側に書いている記号は以下のような意味を持たせています。
*************************
◎理解して正解した問題
○正解したが完全には理解していない問題
△不正解だったが、内容は理解している問題
×不正解で、理解していない問題
*************************
理解していないと思った問題は、調査の必要な文言を右側に記載してそれぞれに記事を作り、調査記事のリンクを貼っていきたいと思います。今後、一回調査した内容が出てきた場合も極力リンクを貼って解説できるようにしたいと思います。
問01. ◎
問02. ◎
問03. × 逆ポーランド表記法
問04. ○ 有限オートマトン
問05. × データ構造B木
問06. × ソート方法(ヒープソート)
問07. ◎
2016/12/22
問08. ◎
問09. × アドレス指定方式
問10. × メモリインタリーブ
問11. ○ VLIW (Very Long Instruction word)
問12. △
問13. × 仮想サーバの冗長化設計
問14. ◎
2016/12/23
問15. × MIPS
問16. ○ ガーベジコレクション、その他メモリ配置
問17. × CPUの遊休時間
問18. ◎
問19. × ラウンドロビン方式
問20. ◎
問21. ◎
2016/12/24
問22. × 標本化周波数
問23. ○ 論理回路
問24. ◎
問25. × SMIL他
問26. ◎ ANSI/SPARC3層スキーマ
問27. ○ B+木インデックス
問28. ◎
2016/12/28
問29. ○ SQL文
問30. ◎
問31. ◎
問32. ○ ネットワークプロトコル
問33. ○ アドレスクラス
問34. × NAPT、IPスプーフィング、IPマルチキャスト、NTP
問35. × SOAP、CORBA、DCOM、SIP
2016/12/29
問36. × IPv6拡張ヘッダ
問37. × OP25B
問38. ○ チャレンジレスポンス方式
問40. × AES、PKI、RSA、SHA-256
問41. ○ リスクベース認証、RADIUS認証、二要素認証
問42. ○ 非接触型・接触型ICカード
問43. ○ ハイブリッド暗号方式
2016/12/31
問43. × SPF (Sender Policy Framework)
問44. ○ Security Information and Event Management、バインド機構、リバースプロキシサーバ
問45. × セキュリティ技術評価、ファジング他
問46. ○ ユースケース図他、UML、ソフトウェア要件定義
問47. ○ ソフトウェア方式設計・詳細設計? Javaのクラス定義他
47/45
一個ずれとる・・・
2017/1/1
問48. ◎
問49. ○ ソースコード変更波及解析、リファクタリング
問50. ◎
問51. ◎
問52. × 復習かねて、クリティカルパス
52/50
問題が文系に近くなってきた気がする・・・
2017/1/2
問53. ◎
問54. × PMBOKのリスク戦略
問55. ◎
問56. ◎
問57. ◎
問58. △
問59. ◎
59/55
この当たりになってくるとある程度確実に取れるようになってくるようだ・・・
2017/1/3
問60. ◎
問61. × SOA (Service Oriented Architecture)
問62. × バランススコアカード
問63. ○ OLAP
問64. ◎
64/60
SOAは前回試験時に勉強して忘れていた。バランススコアカードはMBAの人事の項目で勉強したことと少し違う様子・・・
2017/1/4
問65. × ソフトウェア製品の品質:非機能要件
問66. × 調達計画、実施における準委任契約と請負契約
問67. ◎
問68. × アンゾフの成長マトリクス
問69. ◎
69/65
マネジメント系がずたぼろな件・・・
2017/1/7
問70. × 死の谷
問71. △
問72. × クラウドソーシング
問73. ◎
問74. ◎
問75. ○ 故障率曲線
75/70
えらい数の調査件数に圧倒されるw
2017/1/8
問76. △
問77. ◎
問78. × 産業財産権
問79. × 特定個人情報の適正な取り扱いに関するガイドライン
問80. ○ 集団思考(グループシンク)
80/75
結構法令系は弱いことが判明orz
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応用情報処理技術者試験
2016年12月20日火曜日
そして応用情報結果・・・
12月16日に合格発表がありました。
結果は残念ながら、不合格でした。。。
結果をしってから、ほとんど見られてはいないものの応用情報に関わるブログ記事をすべて消してなかったことにしようかとも思ったのですが、しばらく時間を置いて考えたところ・・・
これはネタとしておいしいっ( ゚Д゚)
と思いなおし、落ち着いてからこの記事をコーヒーを飲みながら書いているところです。
午前は67.5点、午後は48点と惨憺たる結果だったのですが、よくよく考えてみると午前が100点満点で70点に達していないということは、午後の結果が悪かったとしても仕方がないようにも思います。
午後についての対策について調査したところ、多くが「対策を練ることは毎年違う問題が出てくるので不可能」としているところもありましたが、それも少し違うような気がしています。
言い訳みたいですが、午前の対策法が固まったのが1週間前だったこともあり、午後については過去問を見ることもなく試験に挑んだため、はっきり言って初めて経験する試験内容にしてはよくできた方だと言えるかもしれませんし・・・(と、前向きに捉えてみる)
今回の午後の解答の突合せは後日行おうと思いますが、私のような文系の人間がマネジメント系を中心に午後の試験を受けた場合、午前の問題の理解度がそのまま午後に影響すると思われます。(対してプログラマの方から見れば、プログラミングなどの問題は赤子の手をひねるようなものだと勝手な想像してみています・・・w)
つまり、問題に出てくる「Terminology」をしっかり理解し、且つ関連する用語がすぐに出てこなければ望ましい解答ができないと想定できるため、午前の理解度が7割以下だったことを考えると、午後の結果は妥当だと言わざるを得ないわけです。
応用情報処理技術者の資格そのものは、それほど仕事そのものに直接的な影響を持たない方も多いかもしれませんが、私の場合は受託契約の内容見直しの根拠にできたり、将来的に「中小企業診断士」の資格を狙っていきたいと考えているため、今回の結果を受けた結論は明確です。
リベンジだっ (# ゚Д゚)
それと、今回受験して感じたのは応用情報処理技術者試験の範囲を学ぶことで、少なくとも私のようにトラブルシューティング系の仕事をしている人にはかなりの好影響があるということです。
試験の範囲はハードウェアやソフトウェア、データベースやネットワークなどなどかなりの広範囲になりますが、1次受けのトラブルシューティングもどんな問題が来るかあらかじめわからないために、問題の切り分けを行う上で広範な知識を必要とします。
そういった意味で、基本情報や応用情報処理の学習は特にトラブルシューティングの1次受けをする人にとってはかなり有効なトレーニングになりえるとも言えるのではないでしょうか。
さて、そこでリベンジ方法なのですが、この記事を書いているのが2016年12月19日で、平成29年春季試験は2017年4月16日に行われます。
事情により起算日を12月21日として考えると、
日数にして 116日
週にすると 16週
となります。
私の仕事スケジュールは週5日間を派遣の仕事、残り2日の内1日は保育園のサポートの仕事、そして休みの日の3時間程度母親との打ち合わせや動画編集(母親とのプロジェクトは「Youtubeの最新動画:料理番組プロジェクト」と「実家の角島での起業計画プロジェクト」の二つとなります)で、結構タイトな中で時間を捻出しなければなりません。
逆に、試験の午前問題は80問、午後は5問をそれぞれ2時間半で解く必要があります。
今回の結果と事前の準備について経験からすると、試験対策は過去問題を解くことが一番効果が高いと思えます。なのでただひたすら午前の問題を解き、わからなかったものについては知識をつけていく方法が有効と考えました。
午前の問題は1つにつき1.875分(≒1分52秒)で解く必要があり、こちらは1問当たりの時間が短いので、毎日の学習で少しずつやっていくのが適していると思います。
毎日数問かを解きながら、わからないものの内解説を読むだけで足りないものについては時間を取って調査をする必要があると考えています。
午後については、本来はデータベースなどの勉強もしたいところですが、私のような文系人間がゼロから始めるととても時間が足りなくなるため、午後の問題は
必須の「情報セキュリティ」
それとマネジメント系の「経営戦略」、「プロジェクトマネジメント」、「サービスマネジメント」と「システム監査」(書いてて恥ずかしくなってきますがw)
これらに的を絞って対策することにします。
午後の問題は1問当たり30分割り当てになりますが、30分で見積もると時間が足りなくなる可能性もあるため、20分で解答するようにし、解答後に時間をかけて模範解答との突合せを行った方が良いと考えます。
上述の条件を踏まえてシミュレーションすると、
午前対策については1日を完全に休みにし、且つ1日を午後対策と午前の分からなかった問題の調査に充てると
116-16x2=84 (日)
毎日5問を最低基準にすると試験日までに420問、試験回数に換算すると5回分と少しの過去問題を見ることができるので対策としてはある程度納得できるものと思えます。
予想では5問で大体30分程度かけて問題を解いて解説を読み、わからないものは休みの日の調査に回すことができるのではないかと見積もっています。
午後については毎週1回のみ、1問20分かけて2問解き、模範解答との突合せと調査で全体2時間の見積、それと午前の対策の内、わからないものの調査に1時間を充てて計3時間学習するとすれば午後対策は
16x2=32 (問)
試験回数に換算すると6回分と少しの過去問題を見ることができるので、こちらもある程度納得のいくものになると思います。
調査の内容や進捗などについてはこのブログで上げていきたいと思います。まあ、見る人も少ないとは思いますがwww
有言実行できるか否かもですが、上述のようなやり方で資格が取得できるかというまあ、検証と言う名のネタになれればと思います。
良かったらまた来て見てくださいね(*´▽`*)
結果は残念ながら、不合格でした。。。
結果をしってから、ほとんど見られてはいないものの応用情報に関わるブログ記事をすべて消してなかったことにしようかとも思ったのですが、しばらく時間を置いて考えたところ・・・
これはネタとしておいしいっ( ゚Д゚)
と思いなおし、落ち着いてからこの記事をコーヒーを飲みながら書いているところです。
午前は67.5点、午後は48点と惨憺たる結果だったのですが、よくよく考えてみると午前が100点満点で70点に達していないということは、午後の結果が悪かったとしても仕方がないようにも思います。
午後についての対策について調査したところ、多くが「対策を練ることは毎年違う問題が出てくるので不可能」としているところもありましたが、それも少し違うような気がしています。
言い訳みたいですが、午前の対策法が固まったのが1週間前だったこともあり、午後については過去問を見ることもなく試験に挑んだため、はっきり言って初めて経験する試験内容にしてはよくできた方だと言えるかもしれませんし・・・(と、前向きに捉えてみる)
今回の午後の解答の突合せは後日行おうと思いますが、私のような文系の人間がマネジメント系を中心に午後の試験を受けた場合、午前の問題の理解度がそのまま午後に影響すると思われます。(対してプログラマの方から見れば、プログラミングなどの問題は赤子の手をひねるようなものだと勝手な想像してみています・・・w)
つまり、問題に出てくる「Terminology」をしっかり理解し、且つ関連する用語がすぐに出てこなければ望ましい解答ができないと想定できるため、午前の理解度が7割以下だったことを考えると、午後の結果は妥当だと言わざるを得ないわけです。
応用情報処理技術者の資格そのものは、それほど仕事そのものに直接的な影響を持たない方も多いかもしれませんが、私の場合は受託契約の内容見直しの根拠にできたり、将来的に「中小企業診断士」の資格を狙っていきたいと考えているため、今回の結果を受けた結論は明確です。
リベンジだっ (# ゚Д゚)
それと、今回受験して感じたのは応用情報処理技術者試験の範囲を学ぶことで、少なくとも私のようにトラブルシューティング系の仕事をしている人にはかなりの好影響があるということです。
試験の範囲はハードウェアやソフトウェア、データベースやネットワークなどなどかなりの広範囲になりますが、1次受けのトラブルシューティングもどんな問題が来るかあらかじめわからないために、問題の切り分けを行う上で広範な知識を必要とします。
そういった意味で、基本情報や応用情報処理の学習は特にトラブルシューティングの1次受けをする人にとってはかなり有効なトレーニングになりえるとも言えるのではないでしょうか。
さて、そこでリベンジ方法なのですが、この記事を書いているのが2016年12月19日で、平成29年春季試験は2017年4月16日に行われます。
事情により起算日を12月21日として考えると、
日数にして 116日
週にすると 16週
となります。
私の仕事スケジュールは週5日間を派遣の仕事、残り2日の内1日は保育園のサポートの仕事、そして休みの日の3時間程度母親との打ち合わせや動画編集(母親とのプロジェクトは「Youtubeの最新動画:料理番組プロジェクト」と「実家の角島での起業計画プロジェクト」の二つとなります)で、結構タイトな中で時間を捻出しなければなりません。
逆に、試験の午前問題は80問、午後は5問をそれぞれ2時間半で解く必要があります。
今回の結果と事前の準備について経験からすると、試験対策は過去問題を解くことが一番効果が高いと思えます。なのでただひたすら午前の問題を解き、わからなかったものについては知識をつけていく方法が有効と考えました。
午前の問題は1つにつき1.875分(≒1分52秒)で解く必要があり、こちらは1問当たりの時間が短いので、毎日の学習で少しずつやっていくのが適していると思います。
毎日数問かを解きながら、わからないものの内解説を読むだけで足りないものについては時間を取って調査をする必要があると考えています。
午後については、本来はデータベースなどの勉強もしたいところですが、私のような文系人間がゼロから始めるととても時間が足りなくなるため、午後の問題は
必須の「情報セキュリティ」
それとマネジメント系の「経営戦略」、「プロジェクトマネジメント」、「サービスマネジメント」と「システム監査」(書いてて恥ずかしくなってきますがw)
これらに的を絞って対策することにします。
午後の問題は1問当たり30分割り当てになりますが、30分で見積もると時間が足りなくなる可能性もあるため、20分で解答するようにし、解答後に時間をかけて模範解答との突合せを行った方が良いと考えます。
上述の条件を踏まえてシミュレーションすると、
午前対策については1日を完全に休みにし、且つ1日を午後対策と午前の分からなかった問題の調査に充てると
116-16x2=84 (日)
毎日5問を最低基準にすると試験日までに420問、試験回数に換算すると5回分と少しの過去問題を見ることができるので対策としてはある程度納得できるものと思えます。
予想では5問で大体30分程度かけて問題を解いて解説を読み、わからないものは休みの日の調査に回すことができるのではないかと見積もっています。
午後については毎週1回のみ、1問20分かけて2問解き、模範解答との突合せと調査で全体2時間の見積、それと午前の対策の内、わからないものの調査に1時間を充てて計3時間学習するとすれば午後対策は
16x2=32 (問)
試験回数に換算すると6回分と少しの過去問題を見ることができるので、こちらもある程度納得のいくものになると思います。
調査の内容や進捗などについてはこのブログで上げていきたいと思います。まあ、見る人も少ないとは思いますがwww
有言実行できるか否かもですが、上述のようなやり方で資格が取得できるかというまあ、検証と言う名のネタになれればと思います。
良かったらまた来て見てくださいね(*´▽`*)
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