現在いくつかの動画をYoutube にアップロードしているのだが、現在は美容室で教えている英語や数学の編集に一番時間を取られている。
今回分は以下の動画である。
もう1カ月ぐらい前からストーブ出さなければなあと思っていたのだが・・・
ようやく重い腰を上げることにした。
それで、もう3年前ぐらいから考えていた物を作ることにした。
まず、核になるものを用意する。
まあ、ガムテープのごみである。エアコンのダクトを固定していたものだ。
まずこれにロープを固定する。
これにある程度柔らかさを持たせたいので緩衝材を付ける。
これに古いタオルを巻いて、ロープの逆の端に重りを付ける。
これを煙突に突っ込む。
逆側はこうである。
これを引っ張ると煙突が一回で、そして炭が逆流することなく掃除できるわけである。
これを「煙突掃除しちゃうもん」君と名付けることにする。
実際の制作時間は5分程度である。これを作るのに3年の時間を要したのだ・・・
この3年、いや、4年か?自分の存在意義とか運命とか、色々考えて結果、生きることに意味が見いだせなくなっていた。
大げさに聞こえるが、働くことすら意味がないように思えていたのだ。おそらく完全に病んでしまっていたのか、この世の全てに、自分と世界のつながりに、ありとあらゆるものに意味を見出せなくなってしまったのかなぁと振り返ってみると思えてくる。
最近行ったり来たりを繰り返しながらなんとか酒を飲まない日が増えてきて、なんとか持ち直してきたのだが未だに「意味なんてあるのか?」と言う疑問は付き纏う。
いや、意味なんてないかもしれないな。うん、ないかもしれん。
道教の境地には、結果世の中の混沌とした側面はどうにもならないし、それに対して何かしようとしても意味などないと言う哲学があるように覚えているのだが、確かにそういう見方もできるように思う。
意味のあるなしに関わらず、いや、確かに意味がなかったとしても、自分が現実としてとらまえている自分という存在は幻のようには消えてなくならないのだ。
量子力学がこの世をシミュレーションであると結論付けたとして、そのシミュレーションを「現実」世界にいる我々が変えることなどできないのだ。
いや、そうだろうか?
シミュレーションだったとして、その状況を俯瞰しつつも現実を変える手段を我々は持っている。
自分の周りの状況から変えていくことで、現実社会に影響を及ぼすことはできるのだ。遠すぎる理想を思いすぎると自分が置かれている状況がみすぼらしく感じるのは仕方ない。
今、ここで、できることは何か?
・・・掃除するかぁ・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿